2017年5月25日 (木)

エダマメ苗を植えた

 5月7日からポットで育てたエダマメが、順調に育ち、二葉くらいに
なり、ポットの大きさと比べても適期かと判断し、畑に移植することに
した。ポットは全部で42個。畑では幅広にした畝に30センチ間隔
で互い違いに2列とした。穴を掘り、水をやり、ポットから移植して
土を埋め戻し、苗の周りの土を上から手で押し付けてから再び水を
やった。
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 隣の畝の春大根はとうに芽を出している。心細いような芽だ
が、こういうものではないだろうか。昨年夏に大根を植えたこと
があったが、栽培記録をつけておけばよかった。もっと大きくな
ったら間引きするつもりだ。
 ジャガイモの方は、2列のうち、外側の一列が順調で、土から
ほっこり芽が顔を出し始めた。ところがもう一列の方は全く変化
がない。違いは何か。思い出してみると、一列目の方は、4月13
日に買って、何日も日に晒してきた種イモだった。二列目の方は
植え付け当日(5月14日)に買ったものだった。その違いは多分
芽の成長の違いではないか。二列目の方の芽がまだ小さかった
ようだ。両方とも、植え付けの前に、大きなつぶのものはナイフ
で二つに切って、断面を日に当てて少しでもと乾かした。ちょうど
乾燥した日だったので、ほんの少しは乾いてきた。これを植えた
のだった。いずれ数日で芽を出してくれるだろう。(5月23日)

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 昨日、エダマメを移植しようと畑に“出勤”。すると友人がすで
に、出勤し、機械で土起し作業を始めていた。彼が撒いたダイ
コンやごぼう、人参には、畝に水やりをしているのか尋ねたとこ
ろ、種まきの時にたっぷりやってしまえば、たいがい、そのまま
にしているのだという。水をやる習慣にしてしまえば、野菜がそ
ういうもんだと思って、水が不可欠のものになってしまう。そうい
われれば、農家の人たちが、広大な畑でいちいち水をやるには
大量の水が必要となる。間に合わないだろうから。それでも野
菜が育つなら、水やりをしない方がいいに決まっている。こっち
もその手で行こう。
 今日は夕方5時ころに、畑を見に行った。エダマメは順調。ジャ
ガイモの二列目の中にチョビッと芽を出しかけたものを2つ見つ
けた。もう数日待てばいいのではないか。それはそうと、友人の
畑のなかに鍬が倒れていた。几帳面な彼にしては珍しいのでは
ないか。急用でもあって、片付けるいとまもなく帰宅したのだろう
か。(5月24日)

2017年5月15日 (月)

種まき

 元肥をし、畝を立ててから一週間が過ぎたので、今日は種をまくこ
とにした。ジャガイモは株間30センチに穴をあけ、1個ずつ置き、土
をかぶせる。一部、種イモを半分に切って、切り口を下にして埋め、
土をかぶせた。春大根の方は、一丁、マルチシートで栽培してみる
かと思い、シートと抑えの留め具を買ってきた。
 家で5メートル×95センチのシートを広げ、30センチごとに直径
5センチの穴を切り抜いた。これを畑に持って行った。まず、畝に水
をかけてからた、それから畝の上に広げようとしたが、いやはや強
い風に軽く薄っぺらなシートなど簡単に持って行かれ、端を抑えて
いたから、まるごと飛ばされはしなかったからよかったが、ヤバイヤ
バイの連発だった。石ころや中に肥料の残った袋でシートの風上側
を抑えた。
 そうして、風が弱まった時に合わせて、留め具を一つ一つ畝の端
に打ち込んだ。5メートル長のシートに留め具10個は不足だったか
ら畝下の土をかぶせて補強した、つもりだった。しかし、この風は、シ
ートに空けた16個の穴の中に侵入してシートをピューピューパタパ
タなびかせる。どうしたものか。端を留め具10個と土で押さえてお
けばそれでいいものだろうか。今日くらいの風はこれからも吹くだろ
うし、さらに強い風も予想すると、シートが飛ばされて、付近の人た
ちに迷惑をかけることにならないか。留め具をもう10個買い足す手
はある。が、マルチにしようというのは思いつきだった。思いつきで
費用が嵩むことにブレーキをかける力が強くはたらいた。そして、種
をまいた日に心配の種もまくことはよした方がいい。銅鑼が鳴りそう
なシャレが口をついて出てきたことに上機嫌となって、抑えていた土
も留め具も外し、シートを丸めたのだった。
 大根の畝は7メートルある。ペットボトルの蓋で穴をつけて、三粒ず
つ種を落としていった。そうして、20株の苗ができる姿を思いながら、
水をかけて、今日の作業を終えたのだった。(5月14日)
 

2017年5月 8日 (月)

友人の畑を借りて野菜作り(1)

 今年も野菜作りをすることにして、まず、市民農園の応募に成功した。
しかし、当たった区画は日の陰りが早く、水はけに難があるところだっ
た。このことは、市民農園の常連たちの評価がそうだったので、まずそ
ういうものなんだろう。この農園の半分以上が水はけが悪いという。大
雨が続けばぬかるみがひどく、長靴で畑に入ると、足が抜けないくらい
になる。そのような区画が当たった人たちは、水はけの悪いところでも
栽培できるサトイモを作ったりしていた。ただ、中には野菜が順調に育
ったところもある。運とかではなく、やはり水はけの悪さに適した科学
的な知識や丁寧な栽培を心掛けた結果なのだろう。
 昨年、カミさんは親類が管理を任されている農地のほんの一部に玉
ねぎ、ニンニクを植えた。その収穫は間もなくやってくるだろう。玉ねぎ
は自分でもやってみたいと思っていた。ただ、市の農園が利用できる
のはその年の4月から11月までで、年を越しての利用ができないため、
諦めていたが、豊岩で農業をやっている友人が自分の畑を貸してくれ
るというので、好意に甘えることにした。来年もここを利用できるから、
玉ねぎ作りにはもってこいだ。そこは自宅から車で12、3分のところに
ある。広さは6坪弱。農園はカミさんが担当することにした。あちらは5
坪ほどだろうか。

 4月17日(月)に苦土石灰を撒いた。この日やり残した部分は5月3
日に撒いた。撒くといっても、土の表面に撒くのではなく、土を掘り起こ
し梳き込むようにした。同じ3日から5日までかけて、牛ふん堆肥と化
成肥料で元肥を施し、同時に畝をたてた。端から順にジャガイモ用2畝、
春大根用1畝、エダマメ用に幅広の畝1本。元肥をやった後1週間は寝
かせておく。
 この元肥でわからないことがある。元肥は土の中に播くが、野菜の根
が届かないように深いところに施すものだという。根が元肥に触れると、
肥料焼けするのだそうだ。そこで疑問・・・肥料をやるのに、なぜわざわ
ざ根が届かないところにやるのか。それでは肥料をやる意味がないの
ではないか。

 しかし、そんな疑問はいつか答えを見つけることにししよう。日が経
つうちに種まき時期を逸してしまえば、いい野菜はできない。初めての
試みとしてエダマメはポットに苗を育て、その苗を畑に移してみることに
した。

2017年5月 7日 (日)

野菜作り(2)

 エダマメの苗を自分で作り、ある程度成長してから畑に移植する話
はカミさんの母親がやっていた。台所の外に苗畑コーナーを作り、種
を蒔いておけば一週間ほどで芽が出て、苗に成長してから畑に移植
する。私の場合は、自宅から離れたところに苗を運ぶわけだから、そ
れにはポットが適していると思ったので、ポット苗を作り、それを豊岩
の畑に移植することにした。

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▲培養土。5ℓ入り袋でポット20個ができた

 この培養土をポットに八分ほど入れ、水を入れひたひたにする。下
の穴から水が抜けていくが、用土は水で湿っている。種を3粒ばらば
らにして押し込み、土を少し掛ける。これを43個作った。この43個全
部に不織布の覆いをかけて、鳥害から守る。鳥害といえばキジを連
想するが、豊岩の畑で友人のおふくろさんと遭遇したときに、この辺
はキジのほかハトもくるのだそうだ。市民農園ではハトが豆を啄みに
くる話は聞いたことがなかったので、鳥の中にハトもいることを変に納
得したのだった。
 もう一つ、ジャガイモの方はキタアカリの種イモを買っておいた。陽に
当てるといいという話を聞いたので、そうしている。ただ、買ってから日
数が立っているので、芽がかなり伸びてきたし、表面がしわくちゃにな
ってきた。これでも使えるものだろうか。今度の日曜にはジャガイモを
植えないと種イモが腐ってしまうのではないか。

 午後、日向ぼっこさせていたジャガイモから少し離れたところに、イモ
が転がっていた。種イモに似ている。見るとやはり種イモだった。食わ
れたような穴が空いていた。カラスにやられたのだろう。大きいイモだ
ったから、半分に切って二つ分の種イモができるはずだった。同じよう
に大きめの種イモが近くにもう一つ見つかった。穴が空いていた。そう
か、カラスはイモも狙うのか。油断ならんヤツだ。ハシブトかハシボソ
か。友人ならわかるかもしれないが、彼は今頃、農業法人の仲間と田
んぼやら豆やらの作付けで多忙だろうから、聞くことは後にしよう。

2016年8月28日 (日)

寺田和子さんの「七時雨」を読んだ

 書肆えんから贈られてきた詩集。

 平易な言葉で表現されていて、読んでいて不思議な心地よさを感じていた。

 ヨーロッパを旅したときの印象を書き留めた詩数篇。第二次大戦の跡を訪れ
て、乳頭の森がフラッシュバックする詩。また、原爆のヒロシマが胸に去来する
作品や、フクシマ原発事故のあった年を挟んで、二度訪問したドイツで、自然
エネルギーに転換しようとする動きを感じる詩もあった。詩集の前半は、この
ように旅先での写真を見るようだが、同時に日本のありようにも立ち戻る時代
感覚。

 グリム童話に出てくる町を訪問した時の詩。町の様子に童話の世界を重ね
合わせて組み立てている。そこに感性の柔らかさを感じる。「ハーメルンの鼠
捕り男」や「パン焼きがま」は、とてもいいと思った。異なる時空間を書き分け、
行き来できる巧みさを感じる。

 中ほどに収められている詩には、人生を振り返りつつ、これから迎える日々
への静かな意志が書かれている。そしてその詩の中に幾つも植物の名が出
てくる。「雨に打たれ、風に揺れ」の最終連には次のように書かれている。 
  木や 草や 生きて在る
  すべてのものたちと ともに 
  わたしも
  一日 一日 重ねよう

 だから、その季節の花や草をみればその名前を呼ぶ。水仙、ネコヤナギ、
ハギ、キキョウ、ナデシコ、秋のナナクサ。

 「社会の窓」、「七時雨は」、「七時雨山荘にて」は、山に登った時の情景が書
かれている。「七時雨山荘にて」は、同行した人たちは年齢もばらばらだが、心
置きなく交わえる親しみ深さが感じられて、読んでいてさわやかさを感じた。

 言葉に余計な力こぶがはいっていないから、読む側も、力を抜いて読んでい
ける。滋味に満ちた、いい感じの一冊だった。

2016年6月20日 (月)

岩手山は花の山だった

 4時45分に自宅を発って、7時20分に馬返し登山口駐車場に着いた。すでに
多くの車があった。ここは標高608mだから山頂(2,038m)までの1,430
mを登る。

  水600ml、ポカリスエット500ml、ミニあんぱん(朝食の残りの4個)、オニ
 ギリ(3個)、行動食としてドライフルーツ(前回の残りのマンゴーとバナナ)、
 塩飴。
 着替用衣類はTシャツ2枚、長袖フリース、タイツ、長袖下着、雨具上下。

 ザックを背負おうとしたら重い。なんで、と思ったが思い浮かばず、水彩パレ
ットは車内に残すことにしたが、鉛筆スケッチはできるようにと水彩紙と鉛筆な
どは持参する。しかし、パレットを外したくらいではそんなに変わらない。まだ
重い。重いのでゆっくり歩く。

(帰宅後点検すると新品の虫よけスプレーを見つけた。これをザックに入れた
ことを忘れていたが、重く感じた原因はこれだったようだ。)

 駐車場から進むとトイレ1棟、その先の広場に新しいトイレと四阿が1棟あっ
た。水場もあるのでここでテントを張る人たちがいるかもしれない。登山届に
は7時40分出発、午後4時下山予定と記入した。

 0.5合目という標柱があった。そうだった、初めてこのコースを登った10年
前に小数点入りの合目を初めて見たが、その後、富士山でも上の方に行くと
0.5合ごとに山小屋があった。登り始めてから1時間、頭上からの日差しは
樹林が遮ってくれているが、もう汗がしたたり落ちてくる。道沿いにおいしそう
に香ってきそうな色合いでヤマオダマキが咲いている。チョコレート色の傘、
クリーム色の電球。そして、まるでテントサイトのランプだ。花が下を向いてい

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るので、見ようによっては路を照らしているようだ。結構長く路傍を飾っている
のがうれしい。2.5合目から3号目は新道と旧道に分かれている。10年前は
旧道を登り、新道を下ったが、今回は新道を登ることにした。ところでこのあた
りからつらい。やはり荷が重い。熱中症になるのでないか。このまま登り切れ
るか、右ひざがどうも気になる。8合目まで行ったら引き返してもいいか、と弱
気の虫が目覚めてくる。時折空気が涼しい。それは高度をあげてきたからだろ
う。だからといってもっと登れば涼しくなる分、途中引き返す道のりは長くなる。
こうしてUターンする選択肢を捨てていくんだよなあ。

 5合目。ナナカマドの花。ダケカンバの葉が葉脈も明瞭で、幹の白さと対照
的。6合目。ここに来る前から何か所かで番号のついた丸太が何本もびっしり
と道幅いっぱいに打ち付けられていた。階段のようだが、道の両端になるにつ
れて高くなっている。これは階段というより、雨水によって道の土砂が削られ
て流出するのを予防するためのように思った。別の場所では道の横の斜面
からの流れ込みを防ぐように縦に杭が並んでいる。これを見ると、秋田駒ケ
岳焼森付近の縦走路はまだ手つかずだろうかと思いが飛ぶ。雨水でかなり
浸食され、流失防護用の木材はあってないような状態だった。ここもあそこも
同じ国立公園なのに扱いが違うのなぜだろう。百名山と二百名山の違い?
まさか、そんなことが理由になることはないはず。

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 ツクバネウツギやハイマツを写真に撮っていると、ヘルメットを被った高
齢の男性が下りてきた。下山路をどうするか考えていたので、新旧どちら
が下りやすいかを尋ねると、新道がいいでしょう、という。旧道は細かい石
が滑って転びやすい(そうだった。10年前の記憶が徐々に立ちあがって
くる)。その点、こっち(新道)の方は路がしっかりしているからというのが
理由のようだ。七十代、いや八十代に入っていそうな感じの人が標高差千
メートル以上も登ってくるのかとたまげてしまう。こういう人を見ると、こっち
だってまだまだいけるという気持ちになる。

 シラネアオイが結構多く咲いている。そして、シロバナエンレイソウは珍し
いのでカメラを向け、そのついでにひょいと辺りを見るとサンカヨウだ。この
花を見たのは大分前のことだ。県南の山で見たくらいでずっとお目にかか
っていなかった。雨の後など花びらが半透明に透けて見えて、こんな花も
あるのかと印象に残った。それが今目の前で群落をつくっている。驚きで
ありうれしくもあった。今日の花は透明感はなくしっかりした白だ。季節の
プレゼントをもらった気分だ。岩手山は花の山でもあった。まだ歩いたこと
がない鬼ケ城コースではどんな花が見られるだろう。

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 サンカヨウを見てからすぐに7合目に着いた。ここから山頂のお鉢が見える。
新道と旧道との分岐にもなっている。ここから10分で8合目の避難小屋に到
着。小屋は改築されたようだ。木材も新しく明るい。20人くらいの登山者が三
々五々休んだり、水場の水を汲んだりしている。小屋のデッキに上がってそれ
らしい人を探して、下山路は新旧どちらの路が歩きやすいか、さっきのおじい
さんに聞いたのと同じ質問をしてみた。はじめのうちは新道を勧められたが、
岩の段差をこなすのが難儀だというと、新道は岩礫、砂礫が滑りやすいので注
意してください、という。それでも眺望はきくし、段差の面では新道よりも楽だ。
旧道を下っていって4合目からは新道を下った方がいい。自分たちはそうして
いる。そんな親切な助言をありがたくいただいて、不動平に向かった。

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 不動平から山頂へ。途中から黒い砂礫(スコリア)の滑りやすい坂を登る。
道端には石仏が並んでいる。空にむき出しになっている白い石面が秋田・中
岳の緑の中に多立つ石仏よりも何か不気味さを感じる。12時55分、ようやく
山頂に着く。5時間15分の行程は長かった。なんとかキンバイの咲く不動平
ではためらった挙句、昼食は上で食べたいという気持ちが強くついに山頂ま
で行くことにしたのだった。

 山頂は風が強く、半袖の上に長袖シャツを重ねた。カミさんの握ったおにぎ
りを食べた。カミさんは学生時代に教授や学友と鳥海山に登り、三十歳のこ
ろに秋田・太平山御手洗まで登ったことがあったが、以来、山とは縁のない暮
らしだった。とにかく虫に刺されやすい体質で、二度ほどハチに刺され、今度
刺されでもしたら危ないといわれたり、蚊もブヨも隣にいる人には来ないで自
分にだけ来て刺しまくるし、蛾の鱗粉にはカブレる。それが分かっているから、
連れ立って登ることはなかったし、私から誘うこともなかった。クマや道迷い、
天候悪化による遭難など山のリスクはある程度承知はしているだろうが、そ
れでもおにぎりを作って送り出してくれたことは有難いことだった。山頂で風
に吹かれ、口の中に広がるその味を噛みしめた。山頂からは八幡平のリゾ
ート地などが眼下にあった。一通り眺めを満喫した後は、どうせここまで来た
のだし、とお鉢を巡った。噴火口の縁を巡るお鉢コース。真ん中に茶碗のご
飯を盛って逆さにしたような形の妙高山を右に見ながら周回する。岩手山神
社の奥宮(神社とはいえ石を組み合せて造ったもの)のあるあたりは霊場の
雰囲気だ。1周を約20分で回った。

 下山は8合目小屋の人の助言に従い旧道を下る。砂礫岩礫の斜面につい
た踏み跡を選び、時にはショートカットして適当に下っては何度も転びそうに
なった。もう膝がガクガクなのだ。岩は表面がぐにゃりと曲面になっていたり、
気泡の痕だったりしているから溶岩だったことが分かる。新道を通れば、岩
手山は花の山という印象は薄まるかもしれない。ただ、数年前の8月、御神
坂コースで登った時、山頂部お鉢のコース上で見事なコマクサを数株見たこ
とがあったことは記憶に残っている。

 4合目分岐でおにぎりとミニあんぱんを食う。それからゆっくり助言どおり新
道に向かい、樹林の中の朝に登った路に戻った。初めての路のように感じる
が、路傍のオダマキには見覚えがある。登りの時と同じくこの花に励まされつ
つ、消耗してきた膝のせいでへっぴり腰になってバタバタと段差を下った。若
い男性二人連れを越した時に、難儀な山ですねエと声をかけると、ほんとで
す、と返ってきた。よし、若い奴らを追い越したぜと心で快哉を上げた。

 午後3時25分、登山口に到着。ポストに下山時刻などを書いて投函した。

2016年4月15日 (金)

「ブルックリン・フォリーズ」を読む

 ポール・オースターの小説。アメリカニューヨーク市の中のブルッ
クリンで語られるフォリーズ(愚行)の数々。
 
 語り手であるネーサン・グラス(主人公。59歳か)は、離婚後「静
かに死ねる場所を探して」ブルックリンに来たはずなのに、自分の
甥(トム・ウッド)や甥の上司(ハリス)と付き合ううちに、「静か」どこ
ろでなくなる。ハリーを中心に男たち(仲にはゲイもいる)が繰り広
げる贋作絵画に関するアブナイ話が一つの流れ。

 主人公と甥トムの関係から始まる親族一人一人の風の便りに聞
こえてくる暮らしぶり(あるいは変転)と、やがてストーリーの後半に
なって、彼らの親戚や町とか旅先で知り合った人間たちが絡みあっ
てくると、もう一つの流れをつくって渦のように盛り上がってくる。

 この親戚たちの続柄や知り合いたちの関係を理解するには、図
を作らねばならなかった。ネーサンは、トムをたった一人で訪ねて
きた9歳の姪と三人で旅を始めるが、この姪の小憎らしさが出色。

 ブルックリンで孤独な暮らしを始めたネーサンだったが、物語の
終末では、無名の「忘れられた人々」の物語を出版する会社を立
ち上げるという構想に張り切るところで小説は終わる。

 ポール・オースターは別の小説に自然のなかで思考を深めたソ
ローの名前を出していたが、この小説ではソローの解説をしてい
るのが面白い。また、カフカのエピソードも忘れがたい。

2016年3月 7日 (月)

スクラップ

2月29日付けさきがけ紙から

 被災5年の心境(仙台在住漫画家いがらしみきおさんの言葉)

・ あの時、自分のとった行動が正しいと思っている人は、あまりいな
かったでしょう。われわれは、起きたことをただ受け入れるしかなか
ったはずだし、なぜこんなことが起きたのか、今も分からないままで
す。

・ その時は、日本が変わるぐらいの出来事だと思いましたが、事態
が収束し、沈静化するほど、この国は、日常に返っていっただけで
した。私にそれを批判する資格はありません。私もまた何も変えら
れなかった一人だからです。
 しかし、われわれには、日常を取り戻すこと以外に、目指すべき
ものなどないのではないか。

・ われわれは、昔に戻ることはできない。時間を、過去を、この手
でつかむことなどできない。だから、いつも何かを置いていってしま
う。

・ 自分の人生を生き切ること、その覚悟、それが、震災を経て私が
感じたことでした。

・ あの震災がまた起きたら、みんなどうするだろう。(略)また大勢
の人がなくなりたくさんの財産が失われ、悲劇が繰り返されたとし
ても、われわれは日常を取り戻しにいくしかない。何かを乗り越え
るとは、そういうことのような気がします。

 勇ましい言葉でなくてよかったという思いがある。わかるような気
がする。ただ、自分に引き寄せて想像したとき、自分の人生を生き
切る、という潔い認識に至るだろうかとも。その自分の人生とは、
やはり今ある「状況」をまず受け入れることから見えてくるもの、そ
れへの真摯な態度ということだろうか。体験者ゆえの覚悟だとすれ
ば、やわなおれはそのようなときその覚悟を手に入れることができ
るのだろうか。

2016年2月16日 (火)

少し山頭火

  渡辺利夫の「放哉と山頭火」を読んだ。どちらも頭はよく学歴は
あるし、言葉に関する感性は鋭いものはもっていたのだろうが、な
にせ組織の中で生き抜くことに向いていなくて、現実生活を築き継
続することに関心が薄かったのかもしれない。なによりも酒癖が悪
かった。すぐに酒に走り、酒におぼれて信頼をなくし、自滅していっ
た。そんな弱さ、お、俺にもあ、あるんでないか・・・?

 去年暮れ、インフルエンザ予防接種に行った医院の待合室の壁
に、山頭火の句が、額に飾られていた。「山あれば山を観る・・・」
というヤツだが、見事な墨書だった。
  山頭火が行く山は登る山ではなく、道すがら出会う山であり、遭
遇する雨なのだろう。照葉樹の豊かな山が見えてきそうだ。「山あ
れば山を観る 雨の日は雨を聴く 春夏秋冬 あしたもよろし ゆふ
べもよろし」。ここにはどこか自足した雰囲気があって、私には山を
満喫して下山したときのような気分を催させてくれる。

 酒癖で身を滅ぼした人だったようだが、「分け入っても分け入って
も青い山」など、、自然を見る目やその中にいる自分を見る眼差し
は、時には端正なものだったような気がする。

2015年12月28日 (月)

いつも何してる?

   親戚の人と立ち話をした。彼が「いつも何してる」と私に聞いてき
た。はて、何しているんだろう、と胸に手を当てて思い出そうとする
が、答えられるほどのことを何もしていないことに気づく。どこかに
出勤に出て仕事をするようなことはしていない。趣味は時々、たま
にやっている程度で、だから「特別なことはなあんもしてね。適当
にやってればすぐに夜になってしまう」と答えた。

 山に行ってる、などという季節ではないし、かといって読書という
のはどこか気障っぽくて気が引ける。人様に見せられるような絵が
ないのに、スケッチ、と言うのも気恥ずかしい。ブログと言ってしま
えば、URLを聞かれるだろう。結局、何してるんだかわからない人
間に思われても仕方ないことだし、それで自分が困ることでもない。

 ニュースを見聞きし、新聞を読んで、閉塞的な気分になる。原発、
テロ、沖縄、韓国、中国、オリンピック会場、2025年、一党独裁なす
がまま、日月の進む間に着々と言論の自由を狭くするような時代の
雰囲気、誰が言ったのかわからないが「日本病」というのだそうだ。

2015年12月27日 (日)

今年読んだ本(2)

 ★「犠牲のシステム 福島・沖縄」(高橋哲哉) 本の題名は「いった
ん大事故が起きれば、まず地元とその周辺の人々と環境が、そして
放射性物質によって、県境や国境も超えて広大な地域の人々と環
境が犠牲にされる。原発とはそのような犠牲のシステム」との認識
によるもの。沖縄についても同質の関係を指摘する。沖縄と、国や
沖縄以外の“内地”の人たちとの関係のこと。“沖縄人にだけ米軍
基地の負担を押し付けるのではなく全国民で平等に負担しよう」と
真剣に主張する日本人はほとんど皆無だ。それもそのはず。沖縄
に米軍基地を集中させることは、沖縄人を犠牲にすることによって
日本人が負担を逃れる方法であり、まぎれもなく日本人の利益に
なる。(略)現実は正反対の利害関係であって、沖縄人はいつも犠
牲者で日本人はいつも利益を奪取している”(野村浩也の著書から
高橋が引用)。民主主義的に多数決で解決しようとしても、結局は
現状を変えることなど不可能。「むしろ差別を正当化する」ことにな
りかねない。そういうことか。現実のなかにそのような関係が潜ん
でいることを示してくれる本だ。

 昨日、借りてきた本は「わたしの森林研究」(直江将司)、「植物か
らの警告(湯浅浩史)」、「老いの超え方」(吉本隆明)。柳田邦男の
本も読みたい。柳田の夫人は絵本作家で伊勢英子さん。「いせ ひ
でこ」という名で「大きな木のような人」とか「チェロの木」などを出し
ている。この人の水彩画がいい。絵の具を溶いた水で描いた絵、つ
まりみず絵という感じで、樹木や人を描いている。「最初の質問」と
いう絵本は、長田弘の詩に水彩画がついている。長田の詩がいい。
子供の頃なら感じていたはずの六感の喜びや平凡な発見を、大人
生活が長くなって古錆びてきた感性に問いをそっと差し出して、思
い出させてくれる。

2015年12月25日 (金)

今年読んだ本(1)

 本は、時々読んできた。読んでは他の本に移り、前に読んだ本
の中身を忘れている。最近は時事ものに手を付けたり、小説や、
森林の本だったりあちこち手をつけている。図書館から借りてき
た本が、実は前に読んでいた本だったことに気がついたりする。

 読んだ本はたいがい買って手元に置きたいとは思う。ただ、もう
一度借りれば済むと思いとどまる。それでもたまに、手元に置い
てもっとしっかり読みたいなどと思った本を買ったりするが、買っ
てしまえばそのとたんに熟読する気が失せてしまい、机の上で眠
ったままになっている。

 今年読んだ本で面白かったもの・・・
★「小野小町」(小野一二)小野小町の出生から雄勝に戻って隠
棲するまでの話。★南木佳士のエッセイ、小説。特に「海へ」「生
きてるかい」「草すべり」ほか。市内のブックオフを巡って見つけた
文庫本をほとんど買って読んだ。今年の春は、南木の本を読んで
目の疲れが長く続いた★「悼む人」(天童荒太)★「旭川郷土史」
菅江真澄が太平山に登った話を興味深く読んだ。

 ★「森と日本人の1500年」(田中淳夫)木を伐って消滅した文明
は海外にあったが、そこまでいかなくても日本だって似たようなも
のだった。木造の寺院や城郭の建設、住宅建設、鉄器製造、冬
期の暖房、製塩・・・。それらに木は使われ山が荒れた。平城京、
長岡京、平安京などの都づくりに費やされた木材はかなりのもの
で、その周辺はじめ近畿、中国、四国方面の山は相当ひどいもの
だったらしい。明治期、ドイツ留学から帰国した人たちが計画的
な林業の考えを広めた★「海岸林をつくった人々」(小田隆則)松
のこと。せっかく防風林、飛砂防止林として植えられた松林だった
が、人の居住範囲が沿岸部にも拡大するにつれ、人々の住宅建
設や暖房、製塩業などで伐りつくされ、再び飛砂による被害を招
いてしまったなどの歴史。松尾芭蕉は酒田から象潟に入ったが、
塩越付近を通るときは海岸からの飛砂で路が覆われ、難儀した
という話。ほかに酒田市沿岸の松林や栗田定之丞の話も。

 ★「火花」(又吉直樹)なかなかのもの★「野火」(大岡昇平)フィ
リピンに送られた日本兵が、米軍の攻撃に遭って散りじりになっ
て山野をさまよう。人肉をも食った末に撃たれた兵士、または捕
虜となった兵士。主人公も捕まる。昭和期に船越英治主演の映
画があった。これは二カ月ほど前にテレビで観た。今年、新作が
上映されているらしいが秋田にはまだ来ない。「俘虜記」も読ん
だ。米軍の捕虜となった知識人である主人公が冷静な目で他の
捕虜や捕虜に対する米軍の処遇などを見ている。

 ★「終わらざる夏」(浅田次郎)敗戦間近の千島諸島最北端の島
での軍人や医師などの迷いや覚悟。盛岡出身の農民兵もいたり
して、読み進む。戦争に三度も駆り出された農民兵など、個人の
心情の深部に戦争への憎悪が濃く潜んでいた。つい最近、12月
24日付け地元紙に「占守島遺骨 初特定へ」という見出しの記事
があった。そのなかの「占守島の戦い」という囲み記事にこうあっ
た「日ソ中立条約を破棄し1945年8月に対日参戦したソ連軍は18
日未明、(略)千島列島北東端の占守島に上陸。ポツダム宣言を
受諾し武装解除を進めていた日本軍守備隊と戦闘になった」。浅
田のこの小説は、この戦いで散ることになる日本軍兵士のことを
書いたものだったし、記事は、この戦いで死んだ兵士の遺骨の主
が誰だったか特定できたというものだった。★「絵でわかる植物の
世界」(大場秀章ほか)買っておきたい本だが少し高い★「森と人
間の文化史」(只木良也)いい本で、これは買ったが、もう一度読
みたい★「ハロルド・フライの思いもよらない巡礼の旅」(イギリス
人作家)。

2015年12月 4日 (金)

旅に関する三冊(2)

3 「プラネット ウォーカー(無言で歩いてアメリカ横断17年)」ジョ
 ン・フランシス著。(日経ナショナルジオグラフィックグラフィック社)

 著者が自分の実体験を本に著したもの。
 1971年サンフランシスコ湾で起きた原油流出事故を目撃した若
者が、その後、自動車を運転するのも、人に乗せてもらうのもや
める。しかし、この決断に対しては、例えば「人一人が歩くことに
したからって、大気汚染や原油の流出は減らせない。かえって、
ほかの皆のガソリンの消費量が増えるだけだ」などと批判されて
しまう。

 自分から仕掛けるわけではないが、聞かれれば自分の「歩く」生
き方を始めた理由を話さざるを得ない。そこに激しい議論があった
り、自己弁護や虚勢や、自分への偽りが見えてくる。著者は、27
歳の誕生日に、この日から沈黙を守ろうと決意する。

 9年後、著者は友人と非営利の教育機関「プラネットウォーク」を
設立し、徒歩による巡礼を通じて環境保護の意識を高め、世界の
自然を守り、平和の達成に尽くす運動を始めた。そして、1983年
1月、カリフォルニア州ポイント・レイズを起点に徒歩、無言の旅
を始める。彼は太平洋岸沿いに北上し、ワシントン州ポートタウ
ンゼントからは東へ向かう。イエローストーン公園、ミシガン湖の
南端を経てまたひたすら東へ向かい、7年後に大西洋岸に到達
する。

 旅の中で、沈黙すること、言葉を語ることなどについて考察を
深めて、それはそれで考えさせるものがあるが、アメリカという
国の懐の深さも感じた。

 旅の途中で、話しかけられても無言の彼を訝しむ人には、「プ
ラネットウォーク」の設立趣旨を書いた紙を見せたりした。極寒の
冬はそのコース上の土地に住んで春を待ったり、そして驚いたこ
とに、旅の途中三カ所の大学で学び、学士号、環境学で修士号、
土地資源研究で学位を取得するなどして旅を続ける。アメリカで
は旅人でもそんなことができるのかと驚く。あらかじめ入学許可
をもらっていたりしたようだし、昔はアメリカの大学は入るのは難
しくはないなどと聞いたことがあったが、そのようなことか。日本
では、決まった時期に行う入試に合格する以外に大学に入学す
ることはできないのではないか。社会人向けの講義が開かれて
いる場合もあるが、旅行途中の人でも受講できるものだろうか。
 
 彼が大学で授業の補佐をするときは身振りやホワイトボードに
書いたりしたのだろう。大学で受講する際、質問や解答のときも、
身振りやメモ書きで受講した。そのほか、彼が通りがかったこと
を知った町の学校教師が、彼に頼んで講師となり特別授業をも
ったりしたことも数度あった。アメリカではそんなこともできたりす
る。民間人がいきなり授業で教壇に立つことなど、日本では考え
られないのではないか。そんなふうに実をとるために柔軟な考え
に立てるところがアメリカの優れた点なのだろう。

  旅の後、彼は、国連環境計画プログラムの親善大使の任命を
受けたり、原油流出の規制法作成を手伝うことになる。旅の途中
で博士号を取得したことが評価されたが、考え方が独創的で突
拍子もないことも力となった。彼を指名した人から「法案の起草や
経済や環境の分析に関することで、どんなに突拍子もなく非現実
的と思えるものでも構わない」言われる。

 また、遠隔地の人間と会議や話し合いが必要な場合は、徒歩
や自転車で行くなど悠長なことはやっていられない。衛星通信
システム(テレビ会議のようなものだろう)を使わせようという。い
わば公機関で、目的のためにあらゆる手段を許容するという。
日本では、会議に出張する者の交通手段は新幹線とか飛行機、
車など決まっていて、これに従わない者は採用ストップになった
り、採用されてもやがて排除されてしまだろう。

旅に関する三冊(1)

1 「チャーリーとの旅」(ジョン・スタインベック ポプラ社)
 「怒りの葡萄」や「エデンの東」を書いたスタインベックが1960年、
58歳の時に、アメリカを横断し周回した紀行文。この旅で4カ月か
けて1600kmを走った。

 「私は自分自身の国を知らないと悟った。・・・・私はアメリカの言
葉を聞かず、草や木やドブ川のにおいを嗅がず、丘や川の色合
いやきらめきを見ずに過ごしてきた。変化というものに触れるの
は本や新聞を通じてだけだった。何より二十五年にわたってこの
国土に触れてこなかったのである」「だからもう一度見てみよう。
この怪物のごとき国を再発見しようと決心した」・・・・これが、旅の
動機だった。

 そのために準備したのが、積載能力750kgのピックアップトラッ
クだった。内部にはキャンピングカー用の居住スペース、ダブル
ベッド、コンロ、ヒーター、冷蔵庫、照明、トイレ、収納庫などを積
み込んだ。愛犬とともにニューヨークを発ち、ニュー・イングランド
~ひたすら西へ~シアトル~サンフランシスコ~ニューオーリン
ズ~ニューヨークと周回する。

 車に準備したもの中にライフル銃もあったのが、アメリカを感じ
させる。方言が徐々に消え、画一的な標準語に変わっていくこと
や都市化の波が広がっていくのを見て嘆いている。シアトルでは
自分がかつて見た風景が、狂ったように発展している様を「発展
というものは、どうしてこうも破壊と似ているのだろう」と書いてい
る。南部を通過すればいやでも目にすることになる黒人差別の
現場・・・・・。

2 「ハロルド・フライの思いもよらない巡礼の旅」(レイチェル・ジ
  ョイス 講談社)
  
 イギリス南端の町に暮らす65歳の男が、スコットランドに近い町
の病院でガンに冒され死に瀕しているという昔の同僚から手紙を
もらい、それへの返事を手にして、投函しようとして郵便ポストを
探す。ポストは見つかるが、そこをやり過ごして次のポストを探す。
見つけるがまた次のポストへ・・・。ついにそのままスコットランド
方面へ歩き始める。

 自分が行くまで入院中の元同僚の命が続きますように、そんな
願いが彼を駆り立て、80日間、1千キロを歩いて、病床にある元
同僚のもとにたどりつく。

 旅の途中、主人公の妻や息子への様々な思いを読み進むうち
に、背後にある彼の家族関係が解き明かされていく。誤解や行き
違いに惑わされながら、感情の奥そこにある本当の心に気づく
主人公と妻。

 かなり省いてしまえばそんなストーリーだ。
 全く準備もなく、普段着のまま、地図も何も持たず背負わず、コ
ンビニ袋くらいで、旅の始まりとはいえないような徒歩の旅が始
まる。普通、旅って何らかのチケットを求めたり、予約したり、何
らかの準備はするもの、そう思ってきた身には、この小説の始ま
り方は意表をついていて面白い。飽きることなく読みきっていた。

2015年10月22日 (木)

黄葉の白神岳

 
 朝5時に秋田市を出発、途中、コンビニで買った朝食を八峰町峰
浜の道の駅駐車場で摂り、8時に登山口下の駐車場に到着。青森
ナンバーと八戸ナンバーの車2台が先着していた。八戸ナンバー
の車から男女四人が身支度を終え、出発した。私と甥も遅れて出
発。登山口にある小屋で、8時半、甥が登山届を書いている。

 二股分岐で先に発った四人連れに追いつき、そのまま先行し、出
発してから1時間で、最後の水場に着く。色づいた山から水が流れ
ている(青のビニルホースの先から)。重い真鍮製の柄杓で喉に流
し込む。
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 そこからさらに30分でマテ山分岐。5年前甥と姪を連れてきた
ときは、甥が体調不十分で途中から引き返したのだった。どのポ
イントで引き返したのだったか。甥は、あと40分くらいで山頂だ、
と私が言ったのだそうだ。しかし、どうも違う気がする。もっと手前
で戻ったようだ。オレも結構いい加減だなあと思うが、無事に戻っ
たことだし、昔のことと立ち止まることなく先へ進む。
 樹林帯を抜けて振り返ると、空、海、漁港、手前に微妙な色合
いの山。

P1040544

11時40分、十二湖コースに至る大峰分岐を通過。山頂には正
午前に到着。360度の展望。岩木山は頂を雲が隠している。広
く奥深い白神山地、南には微かに見える能代港、男鹿半島。4
人連れが到着。請われて記念スナップのシャッターを押す。

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 12時半に山頂発。
 甥に先に行かせる。快調な足取り。明るい茶や黄の明るく混
ざった微妙な色合いの森に潜り込むように下っていく。デジカメ
の操作を教えたり教えられたり。山の黄葉、海から来る光、柔
らかな路、それら秋の山路を楽しんだ山歩きだった。

 3時半に下山終了。駐車場に戻ってきた4人連れは関西の人
たちだった。昨日青森空港に着き、昨晩は一泊(深浦にだろうか)
して、今日は白神岳に登り、明日は藤里駒ケ岳に登りに行くの
だそうだ。私等よりペースは遅かったが、意外に百名山の大半
は登った人たちかもしれない。それにしても贅沢な旅だなあ。

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