2018年7月15日 (日)

5本のナス

 雨がちな日が続いたが、今朝は晴れてくれたので1週間ぶりに畑に行った。

 5本のナスはどうやら元気でいたようだ。細長い実を四個つけていた。よくぞ
実をつけるまで頑張っていると感心している。

 5月初めに5本の苗を買って、3日後に定植した。買ってからの3日間にレジ
物袋に入れたまま外に置いたが、雨が2日続いた。袋の中の苗のポットの底
から雨水は外に逃げず水に漬かっていたも同様だった。それに気づいて袋か
ら外へ出してやったが、遅かったかも、と案じつつ、畑に定植したのだった。
丈は高く葉も緑で大きく、いい苗を買ったと、期待が膨らんだ。が、しかし、10
日後には、葉が紫色に変わり、つやを失っていた。何でヤネン! ネットでこの
紫に変わっている状態を調べると、低温障害にかかっているようだった。対策
はマルチを施すとよい、とか。土の保温、保湿と雑草除けの効果がある。そこ
で、家にあった黒のゴミ袋の左右の折り目部分を切って長くしたものでマルチ
にすることにした。これを2枚作り、5本並んだ苗を左右から挟むようにして株
元を覆った。覆う前に追肥をし、十分に水をやった。

 畑の主のおふくろさんとしばらくぶりでかかち合い、立ち話をした。ナスの低
温障害の話をしたとしたところ、今年はまだ寒い日があるからなア、ここらの人
だば、あんたふうに苗の周りサ棒を4本立てて、肥料袋をかぶせて苗を囲って
寒さ対策をしているものなア、と指を指して教えてくれた。これまでも畑に肥料
袋で何かを保護しているなあ、と何気なしに見ることがあったが、ナスの寒さ
しのぎだったのかア。ただ、最近の天候は肥料袋で囲う必要はなさそうだった。
苗の間隔を35センチくらいにしたことを話すと、おふくろさんは、ちょっと間が
狭いなと笑っていた。確かに、参考書では株間60センチと書いてあった。ただ、
畝に余裕がなかったから大分せせこましく植えたのだった。

 苗を定植してから1カ月目に花芽が付いた。5本とも。これは嬉しかった。よ
し、開花したら、参考書にある通り、すぐ下の2、3枚の葉を切り落とせばいい
んだな。

 それから5日後、隣家の畑に初めて見るオジサンがいたので挨拶をし、野菜
の話をしているうち、私の野菜を見て、頑張っているのにこんなこと言って悪イ
けども、と前置きをした。ナニ? 何を言ってくれるのと身構えた。どの野菜も
みな肥料不足だな、という。つまり、ナスもエダマメもかア?、ネギもかア? タ
マネギもかア?(この頃タマネギは冬を越しても可哀そうなほど、ゴルフボール
よりも小さいまま春を生きてきたのだった。確かにタマネギは肥料のやり方が
バカだったことは気づいていた。言われて数日後に畝から引き揚げた。)それ
ばかりではない、エダマメとナスにはアブラムシがついていると教えてくれたの
だ。エダマメに虫がつくなど、何年か作ってきたけど、なかったぞ。しかし、彼が
教えてくれたとおり葉の裏に虫がいるのだから無視できない。翌日、早速スプ
レー式殺虫剤を買い、ナスもエダマメも虫のついた葉の裏に噴霧した。それか
らナスはマルチの端っこをめくって追肥した。

 その頃、気がつくとあたりの風景も少しずつ変わっていた。近くの人の畑では
勢いよくナスが育ち、充実した実がぶら下がるようになっていた。5本の私のナ
ス、干からびた葉っぱの私のナス、実をつけろよ、とマルチを外し、支柱を少し
長めのものに取り換えた。

 7月1日、ナスに初めて実がぶら下がっていたので驚いた。一つだったので、
カミさんに渡すとそうめんのつけ汁の具にしてくれた。追肥には化成肥料と油
粕をやった。4日、2個目の実一つだけ。それから1週間後の今日、4個。この
調子で頑張れよな。映画には「5つの銅貨」というのがあったが、こっちは5本
のナス。

2018年7月 9日 (月)

「津波の霊たち」を読んだ

 7年前の東日本大震災で、児童74名の死者を出した石巻市大川小学校児
童の父母や地域の人たちに丹念に聞き取りをしたルポルタージュ。著者は英国
人ジャーナリスで、イギリスの《ザ・タイムス》紙アジア編集長及び東京支局長
のリチャード・ロイド・パリ―。(翻訳濱野大道)

 この本は、宮城県石巻市大川小学校で何が起きていたのかを知る格好の読
み物だ。大川小学校児童の母親たちやその家族、地域の住民、石巻市北上総
合支所の職員、僧侶・・・そうした人たちへのインタビューと資料を通して、地震
や津波の襲来に対して彼らがどのように行動したか、また、津波に翻弄され一
命をとりとめたか、児童の親と小学校・市の教育委員会の対立の様子がどうだ
ったか、などを詳細に綴っている。

 この本の読みどころは、一つは、被災者の気落ちの移り変わりだった。被災前
は子供を通じて顔見知りだったり気持ちの通じる間柄であったりしても、被災後
には、子どもが生き残ったか亡くなったか、亡くなっても遺体が発見されて供養
されたか、いまだに子供や家族の行方を探し続けているか、そうした違いが出
てくると、互いの相手に対する親しさに影響していく姿だった。状況が変化する
につれて、それまで仲の良かった母親同士が離反していく姿は、そうなるとこう
なるのかと、変容する人の心の寂しさを感じた。

 また、住民たちは、徐々に小学校管理職の避難対応に疑問を抱き、説明会な
どでの校長や市教委の不誠実な態度を目の当たりにし、ついに損害賠償訴訟
を起こすにいたる。このあたりはかなり迫真の筋書きだ。その校長・市教委が
児童の親たちに対して行った説明会で、避難対応に過失を認めたくない一心
で逃げている姿には、児童がいじめで死んだときの、学校側の責任逃れをす
る姿と重なるものがあった。

 津波が来る前、校庭で待機している子供たちの前で、住民が津波といっても
大したことないと高をくくっている姿や、副校長が避難先を決めかねている様子
は、対応をマニュアルに規定するなど事前の準備を怠った組織なら往々にして
ありうることではないかとも思えた。さらに、大川小学校は海岸より4km離れて
いて、学校や地域からは海が見えない場所にあることが、地域全体が津波へ
の認識や反応を鈍くさせたようだった。
 一方、小学校で児童に死者が出たのは大川小学校のみで、他の学校では
死者はなかった。このことに、亡くなった児童の親たちが疑問の目を向けたの
は自然だった。

 それにしても、校庭で避難待機しているときに、E教諭が「山だ! 山だ! 山
に逃げろ! と叫び、これに呼応するかのように、児童が「先生、山さ上がっぺ。
ここにいたら地割れして地面の底に落ちていく。おれたち、ここにいたら死ぬべ
や!」と叫んだのだという。にもかかわらず、その声は却下された。それはなぜ
だったのだろう。そして、市教委はこの場面のことをなぜ調査報告書に盛り込ま
なかったのか。そうしたことをなかったことにして何を守ろうとしたのか。それこ
そが、父母たちが知りたいことで、訴訟を起こす目的でもあったのだろう。

 1年前に大川小学校に赴任したある教諭は、前任校で災害マニュアルを改
定し、津波警報が出たら学校裏山の神社に逃げるようにした。その前任校で
は、彼が残したマニュアルどおり児童たちが裏山に逃げてけが人すら出なか
った。同じ教諭が、津波に巻き込まれ、そこを脱出して民家に避難した。彼が
当時の状況を語った内容が虚偽に満ちていると、住民から非難と奇異の目で
見られるようになった。彼は以後姿を見せることがなかった。彼に何があった
のか、校長や副校長の避難先の決定に彼がかかわったのか、わわからない
ままだ。

 また、津波の渦に放り込まれ、二時間以上もの間渦の中で死に瀕していた
市役所職員もいる。波に飲み込まれている間の描写は真に迫るものだ。そし
て、幸運にもようやくのことで民家にたどり着いた彼が、翌日から避難者への
支援活動を取り仕切る・・・。こうした市職員の活動には責務感や誇りが感じ
られ、著者もそれを感じるものがあって紹介したものだろう。

 本は、被災後に見られた東北人の行動(争いごとを好まない、地域への順
応を旨とする傾向・・・それに基づいて行動する(しない)思考)や、裁判に対
しても地域の目(という呪縛)を気にしてなかなか立ち上がれない習い、また、
政治に対する無関心・諦めといったことの裏側にある地域風土にも目を向け
て日本・東北を語っている。イギリスや西欧諸国との比較で東北人・日本人
のありようを浮き彫りにしている点は、あらためて私らが自分たちの姿を見
せられた思いだ。

 人口の過密な東京で働く人々が地震への恐怖をどう認識しているかにつ
いても触れている。それに一定の共感を示しつつも、奇妙でどこかありえな
さを書かざるを得ないといった感じだ。それはそうだ。本気で東京一極集中
から抜け出ようとせず、原発の再稼働に重心を置き続けている政権には、
一国民でさえ、不可解に思っているくらいだから、外国人がみれば不思議
だろう。そんな東京でオリンピックをやるんだと。地震がいつ起きても不思
議ではなく、起きてしまえば首都圏のみならず観光客、選手が集中するな
か生命の保障をどうするかの対策も打っていない東京で。

 津波による死者の霊にとりつかれた人たちへの除霊を行った金田住職の
話も興味深かった。一人の女性に何人もの霊が次々と取り付く話には驚か
される。

 訴訟団の一人の言葉「この機会を逃せば-これほど多くの人が亡くなった
いまというタイミングを逃してしまえば-考え方や行動が変わることはないと
思います。だから、私たちは悲劇の本当の原因を突き止めようとしている。
この災害(略)その核心に迫ることを拒否すれば、同じ悲劇が繰り返される
でしょう。けれど、そういうふうに日本は機能している。政府はそれを変える
ことができないんです。」 津波被害をきっかけに産まれるあたらしい思考、
あたらしい人間、というものへの期待・・・。重い言葉だと思った。


 

 

2018年6月19日 (火)

四ツ小屋小阿地で

白山神社裏のケヤキ林と、その裏の水路を描いた。水路に被さるような木々の枝先、水面に映る木々の濃い影、そして水路と田園を分けている道路には午前の日の影が落ちている。

2018年1月12日 (金)

「火山のふもとで」(松家仁之)を読んだ

 松家仁之(まついえまさし)は1958年生まれの作家。

 「ぼく」が入所した村井俊輔が経営する設計事務所は、国立
現代図書館の設計競技(コンペティション)に参加するための
準備にとりかかっていた。村井のほかに13人が勤務するこの
事務所にとって、「ぼく」はこの事務所が採用した久しぶりの
新人。事務所は東京・北青山にあるが、毎年7月終わりから9
月末までは、軽井沢の別荘地にある通称「夏の家」に事務所
機能を移してきた。今年は、「ぼく」も加えて、事務所総がかり
で設計競技に出す案を作る準備にとりかかった。

 こんな背景のもとで物語が進行する。冒頭から何か心地よ
さが感じられる。村井の経歴や設計者としての考え方、彼が
学んだアメリカの建築家の経歴やスウェーデンの建築の歴
史なども挿入される。

 現代図書館の設計が進む中で、「ぼく」の恋愛や、村井が
設計した家に住む作家や園芸家との交流が描かれていく。
設計競技が近づいたある日、ついに村井が疲労で倒れてし
まい、設計競技には、設計図から作り上げた模型が参考作
品として参加するのみとなり、ライバルの設計事務所の案
が採用されることとなった。このあたり、読者としては力が抜
けてしまう。そして村井は3年間の闘病生活の末に死んでし
まうが、その辺も淡々と語られている。

 村井の死後、設計事務所のスタッフはそれぞれ独自の道
を歩んでいく。やがて軽井沢の作家も、そして園芸家も亡く
なり、村井の設計したそれらの家は親族などに引き継がれ
ていく。そして「夏の家」はひょんなことから「ぼく」が引き取
ることになった。初めてここに来た時から29年ぶりの「夏の
家」で、「ぼく」は、最初に村井が建てた時の間取りに戻す考
えをもった。この家で寝起きして、村井の生き方や心境を自
分たちも感じたいと思ったのだった。

 こうして読んでみると、設計競技に向けてクライマックスが
用意されていると思ったが、そうではない。では、何が語ら
れているのだろうか。「ぼく」はもう五十代に入っている。「夏
の家」で一緒に設計に打ち込んだ仲間は各方面に散り、病
床で永眠した人もいる。村井の建てたものの幾つかは依頼
主の死後、他に人の手に渡っている。そんなところをみると、
建物は残る、人の命ははかない、無常観ということかとの思
いが浮かぶ。
 
 ん~そんなところかなア。ディティールはよく描かれていて、
鳥や虫、樹木、料理、設計に用いる小道具の様々の名前が
いろいろと出てきて、著者の博覧強記ぶりが披露される。登
場人物像もかき分けられている。建築家ってこういうところ
にも思いを及ばせて設計するものなのか、とか、アメリカや
北欧の建築家や建築物についても、多少、教えられるとこ
ろもあった。そんなところかな~。

2017年12月 1日 (金)

「空にみずうみ」(佐伯一麦)を読んだ

 みずうみに空が映るというなら分かるが、空にみずうみとはどういう
ことかと、謎ときのような題名だと思った。
 舞台は東北南部、主人公早瀬は作家で、住まいの近くにある野草
園は、所どころ、地滑り地帯の地盤が崩れたり弛んだりしていて立ち
入り禁止になっている。知り合いの新聞記者は三週間かけて東北南
部の沿岸部を歩いて巡った。三年前の春に地盤が二度にわたって沈
下した。三年前から画眉鳥の声を聞くようになった。
 そんな背景から、東日本大震災が三年前に起きて、その被災地か、
その近辺の土地が舞台ではないかと想像しながら読み進めた。
 作家の早瀬と染色家の柚子(ゆずこ)の日々が丹念に記されていく。
 この小説の中では鳥も虫などいきものや、人の使う道具や、早瀬た
ちの友人、隣人、近所のこどもなどが、日々の生活の中で互いに交わ
りながら生きている姿が丹念に描かれている。アオバヅクとその啼き
声、ヤブサメ、水琴窟の音、ブレーカー、中性線、スギナ、ハコベ、ヤエ
ムグラ・・・。人が日々生活していくということは、そんなふうにも多くの
生き物やものに囲まれ、それを大事な道具として使ったり、ちょっと見
つけてから気になって観察したり、二人で話題にしたりして送っていく
もの。柚子が韓国で個展を開催するときは韓国の友人の助けを借りる
し、早瀬が昔電工事で生計を立てていたことから、隣家の電気トラブル
を助けに行ったりしていく。
 重複するが、日々、目にし、耳にするものに丹念に向き合って、友人
たちともゆっくり交流し合っている姿は、今の自分にはないが、どこか
幼少時の日々が今続いていればこんなふうにもなるかもしれないとい
う感じもある。ある意味単純で簡素な生活で、自分の意識や感覚が外
へ開いていれば、いろんなことに感応するものなんだろうなと思う。い
い感じの小説。
 「かなかな」の中に次のような部分。「世の中では、大きな話ばかりが
されていた。立場の違い、考え方の違い、住む場所の違い・・・、などな
どによって対立するしかない、矛盾を含んだ大きな話が、次々と話題
の中心となっていった。大きな話は、しばしば疲労と徒労感、それから
無力感をもたらした」。復興を語るときに堅苦しい言葉でしか語れない、
本音とは噛み合わない言葉で語られている、そんなことを言っているの
かもしれない。雑談できる場や相手がほしい。柚子は、以前のように雑
談できる日を待望する。
 日々の生活で出会う小さなもの、小さないのち、その愛おしさ、という
のだろうか、それを感じながら立ち去らずに立ち止まり、関わっていこう。
そんな中から、被災地であっても、日々はゆっくり流れ、多くの人や物や
いきものたちと関わり交歓しながら、豊かな気持ちでいられる。何も急ぐ
必要はない。そんなメッセージを感じた。
 大震災が数年前に起きたことが、遠回しに示されるのみで、なかなか
明示されないことが気になっていたが、それもとうとう終末になって、旧
暦で書かれた日付がその日であることで明かされる。
 早瀬の友人たちが集まったときに、一人が子供から「生まれ変わった
ら何になりたい」かと聞かれたという話が出ている。集まった人が答えて
いく。水たまりとかオオカミ、トンビ、妖怪、犬、光、何もない部屋など・・・。
自分だったら何になりたいだろうかと思った。普段ならそんな質問の答
えをパスしてしまうかもしれない。そんなふうにもどこか気ぜわしく毎日
を送ってきたんだなあという思いをもった。
 小説の始めから、早瀬たちは戸外から聞こえるブーワンブーワンとい
う音が気になっている。正体は分からない。そんな音も日々の底をつな
げている。それが低周波音であることはやがて分かってくるが、とうとう
終末になってそれが、家の寝室の壁の中にある電話関係の機器から発
していることが分かり、業者から新品と交換されたことで解決する。でも
このエピソードは何を示しているだろうか。
 いつ。突然災厄が訪れ、それまでの平穏な毎日を断ち切るかもしれな
い。そんな日々、のその場その時の事柄、物事、ひとに対して、すぐに立
ち去るのではなく、丁寧に丹念に。一期一会という言葉をふと思い出した。

2017年6月27日 (火)

20日間でこんなに育った

 野菜の成長が楽しみだ。6月6日に撮った写真と26日のものを下
に並べてみた。エダマメの下の葉に小さな穴が空いて心配だった
ので水やりをしたほか、ほとんど水は要らなかった。友人が元肥を
しっかりやれば、余程の日照り続きでなければやらないなあ、とい
っていたとおりだった。それは彼の先代(その先代かも)がこの畑
の土壌替えをきちんとやったといっていたから、そのおかげなんだ
なあと、敬意の気持ちをもった。


P1030218
 ↑ジャガイモ 6月6日

P1030248
↑6月26日

P1030224
↑エダマメ 6月6日

P1030248_2
↑エダマメ 6月26日

P1030222

↑ダイコン 6月6日

P1030242
↑ 6月26日

 たった20日間でこうなることには、野菜のみならず植物の生命の不
思議さを感じる。
 エダマメに水をやっていると、隣で花卉栽培をしている人が声をかけ
てくれたので、少し話をしていると、「(エダマメ)ちゃんと育ってるねが。
秋田市のひとまじめだなあ」という。秋田市の人といういい方にアレっ
と不思議に思っていると、「あれ、あそこの畑、秋田市からきている人
が借りてやってるよ。あのあたり何人も(借りて)やってる人いるよお」
と教えてくれた。
 稲作をやめた農家が、そこを畑地に変えて、それを農家の事情で知
人などに貸しているのだろうと思った。

2017年6月 8日 (木)

ジャガイモ芽欠き

 先日まで五日間ほど雨が続いた。どうなっているか畑に行く。
 ジャガイモは成長していた。見ればダイコンもエダマメも。
参考書にはジャガイモが丈10センチくらいになったら勢いのある茎
三、四本を除き芽欠きせよと書いてあったので、一列目を芽欠きした。
ただ、10センチはおろか20センチくらいにまでなっていて、そんなの
は茎も太くなっているので手遅れかとも思い、それは細いものだけ欠
いた。大根も間引きした。(6月6日)

 昨日、芽欠きしたジャガイモは丈20センチくらいのもあったので、
参考書にそのくらいになったら追肥をせよと書いていたので、株元か
ら少し離れたところに化成肥料をやった。その前に、芽の数の多い
ヤツは、昨日のだと不十分かと思い、更に芽欠きをやった。
 ハウスのところに友人がおり、近くの畑を借りている(私と同じ立
場は同じだが、貸主が違う)Kさんもいた。ハウスの中で友人のおふ
くろさんがクワで畝を寄せていた。Kさんの話では、ジャガイモの芽
欠きはやることで、大きいイモができるが、自分は小さいイモも好き
なので、芽欠きはしない。花を摘むとその分イモは大きくなる、と話
している。中からおふくろさんが、そうだヨナ、花摘むって話しっこあ
るよな、と同調した。
 Kさんの畑にこの前見に行ったことがある。何と百坪はありそうな
広さのところに、何種類ものエダマメ、それは早生やら晩生やらいろ
いろだ、白菜、キャベツ、ナス、ジャガ等々が植えられていた。種だ
けで1万円もかかったとのこと。管理を任されてるようで、自分だけ
では手が回らないからと、知人にやらせている部分もあるといって
いた。
 Kさんが自分の畑に戻り、友人が農業法人の仲間から声がかか
って出かけたので、おふくろさんと私の二人だけになった。ビニール
ハウスの中でナス(だったか?)の苗を植え、鍬で土というか砂を中
央に寄せていた。昔の農作業の話や、自分の畑の土壌を雄物川
河川敷から持ってきた話、息子のことなどを私に話して聞かせた。
人参やゴボウもやはり間引きするのかなどと私が聞くと、人参は間
引きするのだという。友人は人参について、自分の家で代々伝わっ
てきた苗の植え方と、他の家の方法と両方試していると、以前言っ
ていた。やはり、収穫と農作業の効率化の兼ね合いも考えながら、
取り組んでいることが伺われた。ハウスの中が暑いといっていたの
に、そのおふくろさんをハウスの中にいさせたまま、私がつかまえ
てしまっていたような感じだったので、切り上げることにした。一応、
熱中症にならないように、などと声はかけたが。悪いことをしてしま
った。ゴメン。(6月7日)

2017年5月30日 (火)

「リヴァイアサン」を読む

 ポール・オースターの小説を柴田元幸が翻訳している。
 主人公ピーター・エアロン、友人ベンジャミン・サックス、サックス
の妻ファニー、主人公が再婚した妻アイリス、独創的な行いを芸
術と考える女性マリア、マリアの友人リリアンなど。
 「私」が自分の日記を書いていくように、友人のサックス、その妻、
その友など交友関係のいきさつを語っていく。シーンの中での自分
と話相手の心理を読み、説明していく、それが丁寧に書かれてい
ることから、次の行動の理由に説得力がでているし、登場人物の
人物像が明瞭になっていく。様々なエピソードがドキュメントふうに
述べられていくうち、その挿話の内容がこんなのありか?といった
ことにも必然性が具わってくる。小説は、爆死したのがサックスだ
との確信を抱いた部分から始まる。友人が階段から転落し、九死
に一生を得て、その後小説を書き始めるあたりから、俄然、話が
緊迫してくる。どの小説でもそうだと思うが、どんな終わりに向か
っていくのかを意識させる部分というのがあると思うが、この小説
の場合はこの辺りから。
 主人公でもサックスでも、妻以外とのセックス行為がその後の男
女関係の深化に繋がっていく様子が書かれている気がする。こうし
た男女関係は日本でもそうかもしれないが、自分及び周りをみわた
すとなかなか現実味が薄く、実感がわかない。この小説では主人
公とサックスの妻、サックスと妻の友人、こうした男女の交錯した関
係が小説をよりドラマチックにしている。
 終末のサックスの逃避行とリリアンとその娘との三人の生活の緊
迫感はいいし、客観的な記述にして抑え気味に女神像連続爆破事
件の報道を伝えているのもいい。最後に、この小説自体が、主人公
が自分の書いてきたこの小説を、自分のところにも来た捜査官に
手渡した、という結末には唖然とさせられた。つまり、この「リヴァイ
アサン」という小説が主人公の書いた小説だというのだから、読者
としては、やられたという感じになる。
 この小説の中にもヘンリー・デビッド・ソローがでてきた。「ソローこ
そ彼(サックス)の範であった。ソローの『市民的不服従』がお手本と
してなかったら、サックスがああいう人間になっていたかどうかも疑
わしい。これは・・・生に対する接し方全体、容赦ない内なる自警とも
いうべき姿勢の話だ。サックスは私に、あごひげを生やしているの
は『ヘンリー・デイビッド・ソローもはやしていたから』だと白状した」。
こうして引用しても、ソローについて人に語れるものを自分は持ち合
わせていない。「森の生活」を何度読もうと挑戦したことか。そのた
びに、10ページも進めないうちに敗退してしまった。翻訳者をかえ
ても同じだった。
 柴田元幸の訳はよかった。柴田は末尾にポール・オースターの作
品を概括して書いている。参考になりそう。
 最近、長篇物はあまり読んでいなかったので、この小説は、ボリュ
ーム感があり、歯ごたえがあってよかった。楽しめた。
 

2017年5月29日 (月)

ジャガ、二列目の芽が出始めた

 この二日間は降雨があったので水不足の心配がなく、出かけるこ
とはなかった。今朝、見に行った。ジャガイモは一列目は順調に伸
びていた。心配だった二列目は種イモを植えた21カ所中7カ所で芽
が出ていた。あと二日くらいで、全部が出そろうのではないか。大根
の方も芽が成長していた。次は間引きをタイミングよくやればいい。
エダマメは順調。一つ二つ、弱そうな芽があったが様子見というとこ
ろ。(5月29日朝)

2017年5月25日 (木)

エダマメ苗を植えた

 5月7日からポットで育てたエダマメが、順調に育ち、二葉くらいに
なり、ポットの大きさと比べても適期かと判断し、畑に移植することに
した。ポットは全部で42個。畑では幅広にした畝に30センチ間隔
で互い違いに2列とした。穴を掘り、水をやり、ポットから移植して
土を埋め戻し、苗の周りの土を上から手で押し付けてから再び水を
やった。
P1050961

P1050971

P1050972

 隣の畝の春大根はとうに芽を出している。心細いような芽だ
が、こういうものではないだろうか。昨年夏に大根を植えたこと
があったが、栽培記録をつけておけばよかった。もっと大きくな
ったら間引きするつもりだ。
 ジャガイモの方は、2列のうち、外側の一列が順調で、土から
ほっこり芽が顔を出し始めた。ところがもう一列の方は全く変化
がない。違いは何か。思い出してみると、一列目の方は、4月13
日に買って、何日も日に晒してきた種イモだった。二列目の方は
植え付け当日(5月14日)に買ったものだった。その違いは多分
芽の成長の違いではないか。二列目の方の芽がまだ小さかった
ようだ。両方とも、植え付けの前に、大きなつぶのものはナイフ
で二つに切って、断面を日に当てて少しでもと乾かした。ちょうど
乾燥した日だったので、ほんの少しは乾いてきた。これを植えた
のだった。いずれ数日で芽を出してくれるだろう。(5月23日)

P1050975

 昨日、エダマメを移植しようと畑に“出勤”。すると友人がすで
に、出勤し、機械で土起し作業を始めていた。彼が撒いたダイ
コンやごぼう、人参には、畝に水やりをしているのか尋ねたとこ
ろ、種まきの時にたっぷりやってしまえば、たいがい、そのまま
にしているのだという。水をやる習慣にしてしまえば、野菜がそ
ういうもんだと思って、水が不可欠のものになってしまう。そうい
われれば、農家の人たちが、広大な畑でいちいち水をやるには
大量の水が必要となる。間に合わないだろうから。それでも野
菜が育つなら、水やりをしない方がいいに決まっている。こっち
もその手で行こう。
 今日は夕方5時ころに、畑を見に行った。エダマメは順調。ジャ
ガイモの二列目の中にチョビッと芽を出しかけたものを2つ見つ
けた。もう数日待てばいいのではないか。それはそうと、友人の
畑のなかに鍬が倒れていた。几帳面な彼にしては珍しいのでは
ないか。急用でもあって、片付けるいとまもなく帰宅したのだろう
か。(5月24日)

2017年5月15日 (月)

種まき

 元肥をし、畝を立ててから一週間が過ぎたので、今日は種をまくこ
とにした。ジャガイモは株間30センチに穴をあけ、1個ずつ置き、土
をかぶせる。一部、種イモを半分に切って、切り口を下にして埋め、
土をかぶせた。春大根の方は、一丁、マルチシートで栽培してみる
かと思い、シートと抑えの留め具を買ってきた。
 家で5メートル×95センチのシートを広げ、30センチごとに直径
5センチの穴を切り抜いた。これを畑に持って行った。まず、畝に水
をかけてからた、それから畝の上に広げようとしたが、いやはや強
い風に軽く薄っぺらなシートなど簡単に持って行かれ、端を抑えて
いたから、まるごと飛ばされはしなかったからよかったが、ヤバイヤ
バイの連発だった。石ころや中に肥料の残った袋でシートの風上側
を抑えた。
 そうして、風が弱まった時に合わせて、留め具を一つ一つ畝の端
に打ち込んだ。5メートル長のシートに留め具10個は不足だったか
ら畝下の土をかぶせて補強した、つもりだった。しかし、この風は、シ
ートに空けた16個の穴の中に侵入してシートをピューピューパタパ
タなびかせる。どうしたものか。端を留め具10個と土で押さえてお
けばそれでいいものだろうか。今日くらいの風はこれからも吹くだろ
うし、さらに強い風も予想すると、シートが飛ばされて、付近の人た
ちに迷惑をかけることにならないか。留め具をもう10個買い足す手
はある。が、マルチにしようというのは思いつきだった。思いつきで
費用が嵩むことにブレーキをかける力が強くはたらいた。そして、種
をまいた日に心配の種もまくことはよした方がいい。銅鑼が鳴りそう
なシャレが口をついて出てきたことに上機嫌となって、抑えていた土
も留め具も外し、シートを丸めたのだった。
 大根の畝は7メートルある。ペットボトルの蓋で穴をつけて、三粒ず
つ種を落としていった。そうして、20株の苗ができる姿を思いながら、
水をかけて、今日の作業を終えたのだった。(5月14日)
 

2017年5月 8日 (月)

野菜作り(2)

 エダマメの苗を自分で作り、ある程度成長してから畑に移植する話
はカミさんの母親がやっていた。台所の外に苗畑コーナーを作り、種
を蒔いておけば一週間ほどで芽が出て、苗に成長してから畑に移植
する。私の場合は、自宅から離れたところに苗を運ぶわけだから、そ
れにはポットが適していると思ったので、ポット苗を作り、それを豊岩
の畑に移植することにした。

Memo0017

▲培養土。5ℓ入り袋でポット20個ができた

 この培養土をポットに八分ほど入れ、水を入れひたひたにする。下
の穴から水が抜けていくが、用土は水で湿っている。種を3粒ばらば
らにして押し込み、土を少し掛ける。これを43個作った。この43個全
部に不織布の覆いをかけて、鳥害から守る。鳥害といえばキジを連
想するが、豊岩の畑で友人のおふくろさんと遭遇したときに、この辺
はキジのほかハトもくるのだそうだ。市民農園ではハトが豆を啄みに
くる話は聞いたことがなかったので、鳥の中にハトもいることを変に納
得したのだった。
 もう一つ、ジャガイモの方はキタアカリの種イモを買っておいた。陽に
当てるといいという話を聞いたので、そうしている。ただ、買ってから日
数が立っているので、芽がかなり伸びてきたし、表面がしわくちゃにな
ってきた。これでも使えるものだろうか。今度の日曜にはジャガイモを
植えないと種イモが腐ってしまうのではないか。

 午後、日向ぼっこさせていたジャガイモから少し離れたところに、イモ
が転がっていた。種イモに似ている。見るとやはり種イモだった。食わ
れたような穴が空いていた。カラスにやられたのだろう。大きいイモだ
ったから、半分に切って二つ分の種イモができるはずだった。同じよう
に大きめの種イモが近くにもう一つ見つかった。穴が空いていた。そう
か、カラスはイモも狙うのか。油断ならんヤツだ。ハシブトかハシボソ
か。友人ならわかるかもしれないが、彼は今頃、農業法人の仲間と田
んぼやら豆やらの作付けで多忙だろうから、聞くことは後にしよう。

2017年5月 7日 (日)

友人の畑を借りて野菜作り(1)

 今年も野菜作りをすることにして、まず、市民農園の応募に成功した。
しかし、当たった区画は日の陰りが早く、水はけに難があるところだっ
た。このことは、市民農園の常連たちの評価がそうだったので、まずそ
ういうものなんだろう。この農園の半分以上が水はけが悪いという。大
雨が続けばぬかるみがひどく、長靴で畑に入ると、足が抜けないくらい
になる。そのような区画が当たった人たちは、水はけの悪いところでも
栽培できるサトイモを作ったりしていた。ただ、中には野菜が順調に育
ったところもある。運とかではなく、やはり水はけの悪さに適した科学
的な知識や丁寧な栽培を心掛けた結果なのだろう。
 昨年、カミさんは親類が管理を任されている農地のほんの一部に玉
ねぎ、ニンニクを植えた。その収穫は間もなくやってくるだろう。玉ねぎ
は自分でもやってみたいと思っていた。ただ、市の農園が利用できる
のはその年の4月から11月までで、年を越しての利用ができないため、
諦めていたが、豊岩で農業をやっている友人が自分の畑を貸してくれ
るというので、好意に甘えることにした。来年もここを利用できるから、
玉ねぎ作りにはもってこいだ。そこは自宅から車で12、3分のところに
ある。広さは6坪弱。農園はカミさんが担当することにした。あちらは5
坪ほどだろうか。

 4月17日(月)に苦土石灰を撒いた。この日やり残した部分は5月3
日に撒いた。撒くといっても、土の表面に撒くのではなく、土を掘り起こ
し梳き込むようにした。同じ3日から5日までかけて、牛ふん堆肥と化
成肥料で元肥を施し、同時に畝をたてた。端から順にジャガイモ用2畝、
春大根用1畝、エダマメ用に幅広の畝1本。元肥をやった後1週間は寝
かせておく。
 この元肥でわからないことがある。元肥は土の中に播くが、野菜の根
が届かないように深いところに施すものだという。根が元肥に触れると、
肥料焼けするのだそうだ。そこで疑問・・・肥料をやるのに、なぜわざわ
ざ根が届かないところにやるのか。それでは肥料をやる意味がないの
ではないか。

 しかし、そんな疑問はいつか答えを見つけることにししよう。日が経
つうちに種まき時期を逸してしまえば、いい野菜はできない。初めての
試みとしてエダマメはポットに苗を育て、その苗を畑に移してみることに
した。

2016年8月28日 (日)

寺田和子さんの「七時雨」を読んだ

 書肆えんから贈られてきた詩集。

 平易な言葉で表現されていて、読んでいて不思議な心地よさを感じていた。

 ヨーロッパを旅したときの印象を書き留めた詩数篇。第二次大戦の跡を訪れ
て、乳頭の森がフラッシュバックする詩。また、原爆のヒロシマが胸に去来する
作品や、フクシマ原発事故のあった年を挟んで、二度訪問したドイツで、自然
エネルギーに転換しようとする動きを感じる詩もあった。詩集の前半は、この
ように旅先での写真を見るようだが、同時に日本のありようにも立ち戻る時代
感覚。

 グリム童話に出てくる町を訪問した時の詩。町の様子に童話の世界を重ね
合わせて組み立てている。そこに感性の柔らかさを感じる。「ハーメルンの鼠
捕り男」や「パン焼きがま」は、とてもいいと思った。異なる時空間を書き分け、
行き来できる巧みさを感じる。

 中ほどに収められている詩には、人生を振り返りつつ、これから迎える日々
への静かな意志が書かれている。そしてその詩の中に幾つも植物の名が出
てくる。「雨に打たれ、風に揺れ」の最終連には次のように書かれている。 
  木や 草や 生きて在る
  すべてのものたちと ともに 
  わたしも
  一日 一日 重ねよう

 だから、その季節の花や草をみればその名前を呼ぶ。水仙、ネコヤナギ、
ハギ、キキョウ、ナデシコ、秋のナナクサ。

 「社会の窓」、「七時雨は」、「七時雨山荘にて」は、山に登った時の情景が書
かれている。「七時雨山荘にて」は、同行した人たちは年齢もばらばらだが、心
置きなく交わえる親しみ深さが感じられて、読んでいてさわやかさを感じた。

 言葉に余計な力こぶがはいっていないから、読む側も、力を抜いて読んでい
ける。滋味に満ちた、いい感じの一冊だった。

2016年6月20日 (月)

岩手山は花の山だった

 4時45分に自宅を発って、7時20分に馬返し登山口駐車場に着いた。すでに
多くの車があった。ここは標高608mだから山頂(2,038m)までの1,430
mを登る。

  水600ml、ポカリスエット500ml、ミニあんぱん(朝食の残りの4個)、オニ
 ギリ(3個)、行動食としてドライフルーツ(前回の残りのマンゴーとバナナ)、
 塩飴。
 着替用衣類はTシャツ2枚、長袖フリース、タイツ、長袖下着、雨具上下。

 ザックを背負おうとしたら重い。なんで、と思ったが思い浮かばず、水彩パレ
ットは車内に残すことにしたが、鉛筆スケッチはできるようにと水彩紙と鉛筆な
どは持参する。しかし、パレットを外したくらいではそんなに変わらない。まだ
重い。重いのでゆっくり歩く。

(帰宅後点検すると新品の虫よけスプレーを見つけた。これをザックに入れた
ことを忘れていたが、重く感じた原因はこれだったようだ。)

 駐車場から進むとトイレ1棟、その先の広場に新しいトイレと四阿が1棟あっ
た。水場もあるのでここでテントを張る人たちがいるかもしれない。登山届に
は7時40分出発、午後4時下山予定と記入した。

 0.5合目という標柱があった。そうだった、初めてこのコースを登った10年
前に小数点入りの合目を初めて見たが、その後、富士山でも上の方に行くと
0.5合ごとに山小屋があった。登り始めてから1時間、頭上からの日差しは
樹林が遮ってくれているが、もう汗がしたたり落ちてくる。道沿いにおいしそう
に香ってきそうな色合いでヤマオダマキが咲いている。チョコレート色の傘、
クリーム色の電球。そして、まるでテントサイトのランプだ。花が下を向いてい

P1050174

るので、見ようによっては路を照らしているようだ。結構長く路傍を飾っている
のがうれしい。2.5合目から3号目は新道と旧道に分かれている。10年前は
旧道を登り、新道を下ったが、今回は新道を登ることにした。ところでこのあた
りからつらい。やはり荷が重い。熱中症になるのでないか。このまま登り切れ
るか、右ひざがどうも気になる。8合目まで行ったら引き返してもいいか、と弱
気の虫が目覚めてくる。時折空気が涼しい。それは高度をあげてきたからだろ
う。だからといってもっと登れば涼しくなる分、途中引き返す道のりは長くなる。
こうしてUターンする選択肢を捨てていくんだよなあ。

 5合目。ナナカマドの花。ダケカンバの葉が葉脈も明瞭で、幹の白さと対照
的。6合目。ここに来る前から何か所かで番号のついた丸太が何本もびっしり
と道幅いっぱいに打ち付けられていた。階段のようだが、道の両端になるにつ
れて高くなっている。これは階段というより、雨水によって道の土砂が削られ
て流出するのを予防するためのように思った。別の場所では道の横の斜面
からの流れ込みを防ぐように縦に杭が並んでいる。これを見ると、秋田駒ケ
岳焼森付近の縦走路はまだ手つかずだろうかと思いが飛ぶ。雨水でかなり
浸食され、流失防護用の木材はあってないような状態だった。ここもあそこも
同じ国立公園なのに扱いが違うのなぜだろう。百名山と二百名山の違い?
まさか、そんなことが理由になることはないはず。

P1050179

P1050191

 ツクバネウツギやハイマツを写真に撮っていると、ヘルメットを被った高
齢の男性が下りてきた。下山路をどうするか考えていたので、新旧どちら
が下りやすいかを尋ねると、新道がいいでしょう、という。旧道は細かい石
が滑って転びやすい(そうだった。10年前の記憶が徐々に立ちあがって
くる)。その点、こっち(新道)の方は路がしっかりしているからというのが
理由のようだ。七十代、いや八十代に入っていそうな感じの人が標高差千
メートル以上も登ってくるのかとたまげてしまう。こういう人を見ると、こっち
だってまだまだいけるという気持ちになる。

 シラネアオイが結構多く咲いている。そして、シロバナエンレイソウは珍し
いのでカメラを向け、そのついでにひょいと辺りを見るとサンカヨウだ。この
花を見たのは大分前のことだ。県南の山で見たくらいでずっとお目にかか
っていなかった。雨の後など花びらが半透明に透けて見えて、こんな花も
あるのかと印象に残った。それが今目の前で群落をつくっている。驚きで
ありうれしくもあった。今日の花は透明感はなくしっかりした白だ。季節の
プレゼントをもらった気分だ。岩手山は花の山でもあった。まだ歩いたこと
がない鬼ケ城コースではどんな花が見られるだろう。

P1050192

P1050197

P1050204

 サンカヨウを見てからすぐに7合目に着いた。ここから山頂のお鉢が見える。
新道と旧道との分岐にもなっている。ここから10分で8合目の避難小屋に到
着。小屋は改築されたようだ。木材も新しく明るい。20人くらいの登山者が三
々五々休んだり、水場の水を汲んだりしている。小屋のデッキに上がってそれ
らしい人を探して、下山路は新旧どちらの路が歩きやすいか、さっきのおじい
さんに聞いたのと同じ質問をしてみた。はじめのうちは新道を勧められたが、
岩の段差をこなすのが難儀だというと、新道は岩礫、砂礫が滑りやすいので注
意してください、という。それでも眺望はきくし、段差の面では新道よりも楽だ。
旧道を下っていって4合目からは新道を下った方がいい。自分たちはそうして
いる。そんな親切な助言をありがたくいただいて、不動平に向かった。

P1050209

P1050213

 不動平から山頂へ。途中から黒い砂礫(スコリア)の滑りやすい坂を登る。
道端には石仏が並んでいる。空にむき出しになっている白い石面が秋田・中
岳の緑の中に多立つ石仏よりも何か不気味さを感じる。12時55分、ようやく
山頂に着く。5時間15分の行程は長かった。なんとかキンバイの咲く不動平
ではためらった挙句、昼食は上で食べたいという気持ちが強くついに山頂ま
で行くことにしたのだった。

 山頂は風が強く、半袖の上に長袖シャツを重ねた。カミさんの握ったおにぎ
りを食べた。カミさんは学生時代に教授や学友と鳥海山に登り、三十歳のこ
ろに秋田・太平山御手洗まで登ったことがあったが、以来、山とは縁のない暮
らしだった。とにかく虫に刺されやすい体質で、二度ほどハチに刺され、今度
刺されでもしたら危ないといわれたり、蚊もブヨも隣にいる人には来ないで自
分にだけ来て刺しまくるし、蛾の鱗粉にはカブレる。それが分かっているから、
連れ立って登ることはなかったし、私から誘うこともなかった。クマや道迷い、
天候悪化による遭難など山のリスクはある程度承知はしているだろうが、そ
れでもおにぎりを作って送り出してくれたことは有難いことだった。山頂で風
に吹かれ、口の中に広がるその味を噛みしめた。山頂からは八幡平のリゾ
ート地などが眼下にあった。一通り眺めを満喫した後は、どうせここまで来た
のだし、とお鉢を巡った。噴火口の縁を巡るお鉢コース。真ん中に茶碗のご
飯を盛って逆さにしたような形の妙高山を右に見ながら周回する。岩手山神
社の奥宮(神社とはいえ石を組み合せて造ったもの)のあるあたりは霊場の
雰囲気だ。1周を約20分で回った。

 下山は8合目小屋の人の助言に従い旧道を下る。砂礫岩礫の斜面につい
た踏み跡を選び、時にはショートカットして適当に下っては何度も転びそうに
なった。もう膝がガクガクなのだ。岩は表面がぐにゃりと曲面になっていたり、
気泡の痕だったりしているから溶岩だったことが分かる。新道を通れば、岩
手山は花の山という印象は薄まるかもしれない。ただ、数年前の8月、御神
坂コースで登った時、山頂部お鉢のコース上で見事なコマクサを数株見たこ
とがあったことは記憶に残っている。

 4合目分岐でおにぎりとミニあんぱんを食う。それからゆっくり助言どおり新
道に向かい、樹林の中の朝に登った路に戻った。初めての路のように感じる
が、路傍のオダマキには見覚えがある。登りの時と同じくこの花に励まされつ
つ、消耗してきた膝のせいでへっぴり腰になってバタバタと段差を下った。若
い男性二人連れを越した時に、難儀な山ですねエと声をかけると、ほんとで
す、と返ってきた。よし、若い奴らを追い越したぜと心で快哉を上げた。

 午後3時25分、登山口に到着。ポストに下山時刻などを書いて投函した。

«「ブルックリン・フォリーズ」を読む