2016年8月28日 (日)

寺田和子さんの「七時雨」を読んだ

 書肆えんから贈られてきた詩集。

 平易な言葉で表現されていて、読んでいて不思議な心地よさを感じていた。

 ヨーロッパを旅したときの印象を書き留めた詩数篇。第二次大戦の跡を訪れ
て、乳頭の森がフラッシュバックする詩。また、原爆のヒロシマが胸に去来する
作品や、フクシマ原発事故のあった年を挟んで、二度訪問したドイツで、自然
エネルギーに転換しようとする動きを感じる詩もあった。詩集の前半は、この
ように旅先での写真を見るようだが、同時に日本のありようにも立ち戻る時代
感覚。

 グリム童話に出てくる町を訪問した時の詩。町の様子に童話の世界を重ね
合わせて組み立てている。そこに感性の柔らかさを感じる。「ハーメルンの鼠
捕り男」や「パン焼きがま」は、とてもいいと思った。異なる時空間を書き分け、
行き来できる巧みさを感じる。

 中ほどに収められている詩には、人生を振り返りつつ、これから迎える日々
への静かな意志が書かれている。そしてその詩の中に幾つも植物の名が出
てくる。「雨に打たれ、風に揺れ」の最終連には次のように書かれている。 
  木や 草や 生きて在る
  すべてのものたちと ともに 
  わたしも
  一日 一日 重ねよう

 だから、その季節の花や草をみればその名前を呼ぶ。水仙、ネコヤナギ、
ハギ、キキョウ、ナデシコ、秋のナナクサ。

 「社会の窓」、「七時雨は」、「七時雨山荘にて」は、山に登った時の情景が書
かれている。「七時雨山荘にて」は、同行した人たちは年齢もばらばらだが、心
置きなく交わえる親しみ深さが感じられて、読んでいてさわやかさを感じた。

 言葉に余計な力こぶがはいっていないから、読む側も、力を抜いて読んでい
ける。滋味に満ちた、いい感じの一冊だった。

2016年6月20日 (月)

岩手山は花の山だった

 4時45分に自宅を発って、7時20分に馬返し登山口駐車場に着いた。すでに
多くの車があった。ここは標高608mだから山頂(2,038m)までの1,430
mを登る。

  水600ml、ポカリスエット500ml、ミニあんぱん(朝食の残りの4個)、オニ
 ギリ(3個)、行動食としてドライフルーツ(前回の残りのマンゴーとバナナ)、
 塩飴。
 着替用衣類はTシャツ2枚、長袖フリース、タイツ、長袖下着、雨具上下。

 ザックを背負おうとしたら重い。なんで、と思ったが思い浮かばず、水彩パレ
ットは車内に残すことにしたが、鉛筆スケッチはできるようにと水彩紙と鉛筆な
どは持参する。しかし、パレットを外したくらいではそんなに変わらない。まだ
重い。重いのでゆっくり歩く。

(帰宅後点検すると新品の虫よけスプレーを見つけた。これをザックに入れた
ことを忘れていたが、重く感じた原因はこれだったようだ。)

 駐車場から進むとトイレ1棟、その先の広場に新しいトイレと四阿が1棟あっ
た。水場もあるのでここでテントを張る人たちがいるかもしれない。登山届に
は7時40分出発、午後4時下山予定と記入した。

 0.5合目という標柱があった。そうだった、初めてこのコースを登った10年
前に小数点入りの合目を初めて見たが、その後、富士山でも上の方に行くと
0.5合ごとに山小屋があった。登り始めてから1時間、頭上からの日差しは
樹林が遮ってくれているが、もう汗がしたたり落ちてくる。道沿いにおいしそう
に香ってきそうな色合いでヤマオダマキが咲いている。チョコレート色の傘、
クリーム色の電球。そして、まるでテントサイトのランプだ。花が下を向いてい

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るので、見ようによっては路を照らしているようだ。結構長く路傍を飾っている
のがうれしい。2.5合目から3号目は新道と旧道に分かれている。10年前は
旧道を登り、新道を下ったが、今回は新道を登ることにした。ところでこのあた
りからつらい。やはり荷が重い。熱中症になるのでないか。このまま登り切れ
るか、右ひざがどうも気になる。8合目まで行ったら引き返してもいいか、と弱
気の虫が目覚めてくる。時折空気が涼しい。それは高度をあげてきたからだろ
う。だからといってもっと登れば涼しくなる分、途中引き返す道のりは長くなる。
こうしてUターンする選択肢を捨てていくんだよなあ。

 5合目。ナナカマドの花。ダケカンバの葉が葉脈も明瞭で、幹の白さと対照
的。6合目。ここに来る前から何か所かで番号のついた丸太が何本もびっしり
と道幅いっぱいに打ち付けられていた。階段のようだが、道の両端になるにつ
れて高くなっている。これは階段というより、雨水によって道の土砂が削られ
て流出するのを予防するためのように思った。別の場所では道の横の斜面
からの流れ込みを防ぐように縦に杭が並んでいる。これを見ると、秋田駒ケ
岳焼森付近の縦走路はまだ手つかずだろうかと思いが飛ぶ。雨水でかなり
浸食され、流失防護用の木材はあってないような状態だった。ここもあそこも
同じ国立公園なのに扱いが違うのなぜだろう。百名山と二百名山の違い?
まさか、そんなことが理由になることはないはず。

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 ツクバネウツギやハイマツを写真に撮っていると、ヘルメットを被った高
齢の男性が下りてきた。下山路をどうするか考えていたので、新旧どちら
が下りやすいかを尋ねると、新道がいいでしょう、という。旧道は細かい石
が滑って転びやすい(そうだった。10年前の記憶が徐々に立ちあがって
くる)。その点、こっち(新道)の方は路がしっかりしているからというのが
理由のようだ。七十代、いや八十代に入っていそうな感じの人が標高差千
メートル以上も登ってくるのかとたまげてしまう。こういう人を見ると、こっち
だってまだまだいけるという気持ちになる。

 シラネアオイが結構多く咲いている。そして、シロバナエンレイソウは珍し
いのでカメラを向け、そのついでにひょいと辺りを見るとサンカヨウだ。この
花を見たのは大分前のことだ。県南の山で見たくらいでずっとお目にかか
っていなかった。雨の後など花びらが半透明に透けて見えて、こんな花も
あるのかと印象に残った。それが今目の前で群落をつくっている。驚きで
ありうれしくもあった。今日の花は透明感はなくしっかりした白だ。季節の
プレゼントをもらった気分だ。岩手山は花の山でもあった。まだ歩いたこと
がない鬼ケ城コースではどんな花が見られるだろう。

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 サンカヨウを見てからすぐに7合目に着いた。ここから山頂のお鉢が見える。
新道と旧道との分岐にもなっている。ここから10分で8合目の避難小屋に到
着。小屋は改築されたようだ。木材も新しく明るい。20人くらいの登山者が三
々五々休んだり、水場の水を汲んだりしている。小屋のデッキに上がってそれ
らしい人を探して、下山路は新旧どちらの路が歩きやすいか、さっきのおじい
さんに聞いたのと同じ質問をしてみた。はじめのうちは新道を勧められたが、
岩の段差をこなすのが難儀だというと、新道は岩礫、砂礫が滑りやすいので注
意してください、という。それでも眺望はきくし、段差の面では新道よりも楽だ。
旧道を下っていって4合目からは新道を下った方がいい。自分たちはそうして
いる。そんな親切な助言をありがたくいただいて、不動平に向かった。

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 不動平から山頂へ。途中から黒い砂礫(スコリア)の滑りやすい坂を登る。
道端には石仏が並んでいる。空にむき出しになっている白い石面が秋田・中
岳の緑の中に多立つ石仏よりも何か不気味さを感じる。12時55分、ようやく
山頂に着く。5時間15分の行程は長かった。なんとかキンバイの咲く不動平
ではためらった挙句、昼食は上で食べたいという気持ちが強くついに山頂ま
で行くことにしたのだった。

 山頂は風が強く、半袖の上に長袖シャツを重ねた。カミさんの握ったおにぎ
りを食べた。カミさんは学生時代に教授や学友と鳥海山に登り、三十歳のこ
ろに秋田・太平山御手洗まで登ったことがあったが、以来、山とは縁のない暮
らしだった。とにかく虫に刺されやすい体質で、二度ほどハチに刺され、今度
刺されでもしたら危ないといわれたり、蚊もブヨも隣にいる人には来ないで自
分にだけ来て刺しまくるし、蛾の鱗粉にはカブレる。それが分かっているから、
連れ立って登ることはなかったし、私から誘うこともなかった。クマや道迷い、
天候悪化による遭難など山のリスクはある程度承知はしているだろうが、そ
れでもおにぎりを作って送り出してくれたことは有難いことだった。山頂で風
に吹かれ、口の中に広がるその味を噛みしめた。山頂からは八幡平のリゾ
ート地などが眼下にあった。一通り眺めを満喫した後は、どうせここまで来た
のだし、とお鉢を巡った。噴火口の縁を巡るお鉢コース。真ん中に茶碗のご
飯を盛って逆さにしたような形の妙高山を右に見ながら周回する。岩手山神
社の奥宮(神社とはいえ石を組み合せて造ったもの)のあるあたりは霊場の
雰囲気だ。1周を約20分で回った。

 下山は8合目小屋の人の助言に従い旧道を下る。砂礫岩礫の斜面につい
た踏み跡を選び、時にはショートカットして適当に下っては何度も転びそうに
なった。もう膝がガクガクなのだ。岩は表面がぐにゃりと曲面になっていたり、
気泡の痕だったりしているから溶岩だったことが分かる。新道を通れば、岩
手山は花の山という印象は薄まるかもしれない。ただ、数年前の8月、御神
坂コースで登った時、山頂部お鉢のコース上で見事なコマクサを数株見たこ
とがあったことは記憶に残っている。

 4合目分岐でおにぎりとミニあんぱんを食う。それからゆっくり助言どおり新
道に向かい、樹林の中の朝に登った路に戻った。初めての路のように感じる
が、路傍のオダマキには見覚えがある。登りの時と同じくこの花に励まされつ
つ、消耗してきた膝のせいでへっぴり腰になってバタバタと段差を下った。若
い男性二人連れを越した時に、難儀な山ですねエと声をかけると、ほんとで
す、と返ってきた。よし、若い奴らを追い越したぜと心で快哉を上げた。

 午後3時25分、登山口に到着。ポストに下山時刻などを書いて投函した。

2016年4月15日 (金)

「ブルックリン・フォリーズ」を読む

 ポール・オースターの小説。アメリカニューヨーク市の中のブルッ
クリンで語られるフォリーズ(愚行)の数々。
 
 語り手であるネーサン・グラス(主人公。59歳か)は、離婚後「静
かに死ねる場所を探して」ブルックリンに来たはずなのに、自分の
甥(トム・ウッド)や甥の上司(ハリス)と付き合ううちに、「静か」どこ
ろでなくなる。ハリーを中心に男たち(仲にはゲイもいる)が繰り広
げる贋作絵画に関するアブナイ話が一つの流れ。

 主人公と甥トムの関係から始まる親族一人一人の風の便りに聞
こえてくる暮らしぶり(あるいは変転)と、やがてストーリーの後半に
なって、彼らの親戚や町とか旅先で知り合った人間たちが絡みあっ
てくると、もう一つの流れをつくって渦のように盛り上がってくる。

 この親戚たちの続柄や知り合いたちの関係を理解するには、図
を作らねばならなかった。ネーサンは、トムをたった一人で訪ねて
きた9歳の姪と三人で旅を始めるが、この姪の小憎らしさが出色。

 ブルックリンで孤独な暮らしを始めたネーサンだったが、物語の
終末では、無名の「忘れられた人々」の物語を出版する会社を立
ち上げるという構想に張り切るところで小説は終わる。

 ポール・オースターは別の小説に自然のなかで思考を深めたソ
ローの名前を出していたが、この小説ではソローの解説をしてい
るのが面白い。また、カフカのエピソードも忘れがたい。

2016年3月 7日 (月)

スクラップ

2月29日付けさきがけ紙から

 被災5年の心境(仙台在住漫画家いがらしみきおさんの言葉)

・ あの時、自分のとった行動が正しいと思っている人は、あまりいな
かったでしょう。われわれは、起きたことをただ受け入れるしかなか
ったはずだし、なぜこんなことが起きたのか、今も分からないままで
す。

・ その時は、日本が変わるぐらいの出来事だと思いましたが、事態
が収束し、沈静化するほど、この国は、日常に返っていっただけで
した。私にそれを批判する資格はありません。私もまた何も変えら
れなかった一人だからです。
 しかし、われわれには、日常を取り戻すこと以外に、目指すべき
ものなどないのではないか。

・ われわれは、昔に戻ることはできない。時間を、過去を、この手
でつかむことなどできない。だから、いつも何かを置いていってしま
う。

・ 自分の人生を生き切ること、その覚悟、それが、震災を経て私が
感じたことでした。

・ あの震災がまた起きたら、みんなどうするだろう。(略)また大勢
の人がなくなりたくさんの財産が失われ、悲劇が繰り返されたとし
ても、われわれは日常を取り戻しにいくしかない。何かを乗り越え
るとは、そういうことのような気がします。

 勇ましい言葉でなくてよかったという思いがある。わかるような気
がする。ただ、自分に引き寄せて想像したとき、自分の人生を生き
切る、という潔い認識に至るだろうかとも。その自分の人生とは、
やはり今ある「状況」をまず受け入れることから見えてくるもの、そ
れへの真摯な態度ということだろうか。体験者ゆえの覚悟だとすれ
ば、やわなおれはそのようなときその覚悟を手に入れることができ
るのだろうか。

2016年2月16日 (火)

少し山頭火

  渡辺利夫の「放哉と山頭火」を読んだ。どちらも頭はよく学歴は
あるし、言葉に関する感性は鋭いものはもっていたのだろうが、な
にせ組織の中で生き抜くことに向いていなくて、現実生活を築き継
続することに関心が薄かったのかもしれない。なによりも酒癖が悪
かった。すぐに酒に走り、酒におぼれて信頼をなくし、自滅していっ
た。そんな弱さ、お、俺にもあ、あるんでないか・・・?

 去年暮れ、インフルエンザ予防接種に行った医院の待合室の壁
に、山頭火の句が、額に飾られていた。「山あれば山を観る・・・」
というヤツだが、見事な墨書だった。
  山頭火が行く山は登る山ではなく、道すがら出会う山であり、遭
遇する雨なのだろう。照葉樹の豊かな山が見えてきそうだ。「山あ
れば山を観る 雨の日は雨を聴く 春夏秋冬 あしたもよろし ゆふ
べもよろし」。ここにはどこか自足した雰囲気があって、私には山を
満喫して下山したときのような気分を催させてくれる。

 酒癖で身を滅ぼした人だったようだが、「分け入っても分け入って
も青い山」など、、自然を見る目やその中にいる自分を見る眼差し
は、時には端正なものだったような気がする。

2015年12月28日 (月)

いつも何してる?

   親戚の人と立ち話をした。彼が「いつも何してる」と私に聞いてき
た。はて、何しているんだろう、と胸に手を当てて思い出そうとする
が、答えられるほどのことを何もしていないことに気づく。どこかに
出勤に出て仕事をするようなことはしていない。趣味は時々、たま
にやっている程度で、だから「特別なことはなあんもしてね。適当
にやってればすぐに夜になってしまう」と答えた。

 山に行ってる、などという季節ではないし、かといって読書という
のはどこか気障っぽくて気が引ける。人様に見せられるような絵が
ないのに、スケッチ、と言うのも気恥ずかしい。ブログと言ってしま
えば、URLを聞かれるだろう。結局、何してるんだかわからない人
間に思われても仕方ないことだし、それで自分が困ることでもない。

 ニュースを見聞きし、新聞を読んで、閉塞的な気分になる。原発、
テロ、沖縄、韓国、中国、オリンピック会場、2025年、一党独裁なす
がまま、日月の進む間に着々と言論の自由を狭くするような時代の
雰囲気、誰が言ったのかわからないが「日本病」というのだそうだ。

2015年12月27日 (日)

今年読んだ本(2)

 ★「犠牲のシステム 福島・沖縄」(高橋哲哉) 本の題名は「いった
ん大事故が起きれば、まず地元とその周辺の人々と環境が、そして
放射性物質によって、県境や国境も超えて広大な地域の人々と環
境が犠牲にされる。原発とはそのような犠牲のシステム」との認識
によるもの。沖縄についても同質の関係を指摘する。沖縄と、国や
沖縄以外の“内地”の人たちとの関係のこと。“沖縄人にだけ米軍
基地の負担を押し付けるのではなく全国民で平等に負担しよう」と
真剣に主張する日本人はほとんど皆無だ。それもそのはず。沖縄
に米軍基地を集中させることは、沖縄人を犠牲にすることによって
日本人が負担を逃れる方法であり、まぎれもなく日本人の利益に
なる。(略)現実は正反対の利害関係であって、沖縄人はいつも犠
牲者で日本人はいつも利益を奪取している”(野村浩也の著書から
高橋が引用)。民主主義的に多数決で解決しようとしても、結局は
現状を変えることなど不可能。「むしろ差別を正当化する」ことにな
りかねない。そういうことか。現実のなかにそのような関係が潜ん
でいることを示してくれる本だ。

 昨日、借りてきた本は「わたしの森林研究」(直江将司)、「植物か
らの警告(湯浅浩史)」、「老いの超え方」(吉本隆明)。柳田邦男の
本も読みたい。柳田の夫人は絵本作家で伊勢英子さん。「いせ ひ
でこ」という名で「大きな木のような人」とか「チェロの木」などを出し
ている。この人の水彩画がいい。絵の具を溶いた水で描いた絵、つ
まりみず絵という感じで、樹木や人を描いている。「最初の質問」と
いう絵本は、長田弘の詩に水彩画がついている。長田の詩がいい。
子供の頃なら感じていたはずの六感の喜びや平凡な発見を、大人
生活が長くなって古錆びてきた感性に問いをそっと差し出して、思
い出させてくれる。

2015年12月25日 (金)

今年読んだ本(1)

 本は、時々読んできた。読んでは他の本に移り、前に読んだ本
の中身を忘れている。最近は時事ものに手を付けたり、小説や、
森林の本だったりあちこち手をつけている。図書館から借りてき
た本が、実は前に読んでいた本だったことに気がついたりする。

 読んだ本はたいがい買って手元に置きたいとは思う。ただ、もう
一度借りれば済むと思いとどまる。それでもたまに、手元に置い
てもっとしっかり読みたいなどと思った本を買ったりするが、買っ
てしまえばそのとたんに熟読する気が失せてしまい、机の上で眠
ったままになっている。

 今年読んだ本で面白かったもの・・・
★「小野小町」(小野一二)小野小町の出生から雄勝に戻って隠
棲するまでの話。★南木佳士のエッセイ、小説。特に「海へ」「生
きてるかい」「草すべり」ほか。市内のブックオフを巡って見つけた
文庫本をほとんど買って読んだ。今年の春は、南木の本を読んで
目の疲れが長く続いた★「悼む人」(天童荒太)★「旭川郷土史」
菅江真澄が太平山に登った話を興味深く読んだ。

 ★「森と日本人の1500年」(田中淳夫)木を伐って消滅した文明
は海外にあったが、そこまでいかなくても日本だって似たようなも
のだった。木造の寺院や城郭の建設、住宅建設、鉄器製造、冬
期の暖房、製塩・・・。それらに木は使われ山が荒れた。平城京、
長岡京、平安京などの都づくりに費やされた木材はかなりのもの
で、その周辺はじめ近畿、中国、四国方面の山は相当ひどいもの
だったらしい。明治期、ドイツ留学から帰国した人たちが計画的
な林業の考えを広めた★「海岸林をつくった人々」(小田隆則)松
のこと。せっかく防風林、飛砂防止林として植えられた松林だった
が、人の居住範囲が沿岸部にも拡大するにつれ、人々の住宅建
設や暖房、製塩業などで伐りつくされ、再び飛砂による被害を招
いてしまったなどの歴史。松尾芭蕉は酒田から象潟に入ったが、
塩越付近を通るときは海岸からの飛砂で路が覆われ、難儀した
という話。ほかに酒田市沿岸の松林や栗田定之丞の話も。

 ★「火花」(又吉直樹)なかなかのもの★「野火」(大岡昇平)フィ
リピンに送られた日本兵が、米軍の攻撃に遭って散りじりになっ
て山野をさまよう。人肉をも食った末に撃たれた兵士、または捕
虜となった兵士。主人公も捕まる。昭和期に船越英治主演の映
画があった。これは二カ月ほど前にテレビで観た。今年、新作が
上映されているらしいが秋田にはまだ来ない。「俘虜記」も読ん
だ。米軍の捕虜となった知識人である主人公が冷静な目で他の
捕虜や捕虜に対する米軍の処遇などを見ている。

 ★「終わらざる夏」(浅田次郎)敗戦間近の千島諸島最北端の島
での軍人や医師などの迷いや覚悟。盛岡出身の農民兵もいたり
して、読み進む。戦争に三度も駆り出された農民兵など、個人の
心情の深部に戦争への憎悪が濃く潜んでいた。つい最近、12月
24日付け地元紙に「占守島遺骨 初特定へ」という見出しの記事
があった。そのなかの「占守島の戦い」という囲み記事にこうあっ
た「日ソ中立条約を破棄し1945年8月に対日参戦したソ連軍は18
日未明、(略)千島列島北東端の占守島に上陸。ポツダム宣言を
受諾し武装解除を進めていた日本軍守備隊と戦闘になった」。浅
田のこの小説は、この戦いで散ることになる日本軍兵士のことを
書いたものだったし、記事は、この戦いで死んだ兵士の遺骨の主
が誰だったか特定できたというものだった。★「絵でわかる植物の
世界」(大場秀章ほか)買っておきたい本だが少し高い★「森と人
間の文化史」(只木良也)いい本で、これは買ったが、もう一度読
みたい★「ハロルド・フライの思いもよらない巡礼の旅」(イギリス
人作家)。

2015年12月 4日 (金)

旅に関する三冊(2)

3 「プラネット ウォーカー(無言で歩いてアメリカ横断17年)」ジョ
 ン・フランシス著。(日経ナショナルジオグラフィックグラフィック社)

 著者が自分の実体験を本に著したもの。
 1971年サンフランシスコ湾で起きた原油流出事故を目撃した若
者が、その後、自動車を運転するのも、人に乗せてもらうのもや
める。しかし、この決断に対しては、例えば「人一人が歩くことに
したからって、大気汚染や原油の流出は減らせない。かえって、
ほかの皆のガソリンの消費量が増えるだけだ」などと批判されて
しまう。

 自分から仕掛けるわけではないが、聞かれれば自分の「歩く」生
き方を始めた理由を話さざるを得ない。そこに激しい議論があった
り、自己弁護や虚勢や、自分への偽りが見えてくる。著者は、27
歳の誕生日に、この日から沈黙を守ろうと決意する。

 9年後、著者は友人と非営利の教育機関「プラネットウォーク」を
設立し、徒歩による巡礼を通じて環境保護の意識を高め、世界の
自然を守り、平和の達成に尽くす運動を始めた。そして、1983年
1月、カリフォルニア州ポイント・レイズを起点に徒歩、無言の旅
を始める。彼は太平洋岸沿いに北上し、ワシントン州ポートタウ
ンゼントからは東へ向かう。イエローストーン公園、ミシガン湖の
南端を経てまたひたすら東へ向かい、7年後に大西洋岸に到達
する。

 旅の中で、沈黙すること、言葉を語ることなどについて考察を
深めて、それはそれで考えさせるものがあるが、アメリカという
国の懐の深さも感じた。

 旅の途中で、話しかけられても無言の彼を訝しむ人には、「プ
ラネットウォーク」の設立趣旨を書いた紙を見せたりした。極寒の
冬はそのコース上の土地に住んで春を待ったり、そして驚いたこ
とに、旅の途中三カ所の大学で学び、学士号、環境学で修士号、
土地資源研究で学位を取得するなどして旅を続ける。アメリカで
は旅人でもそんなことができるのかと驚く。あらかじめ入学許可
をもらっていたりしたようだし、昔はアメリカの大学は入るのは難
しくはないなどと聞いたことがあったが、そのようなことか。日本
では、決まった時期に行う入試に合格する以外に大学に入学す
ることはできないのではないか。社会人向けの講義が開かれて
いる場合もあるが、旅行途中の人でも受講できるものだろうか。
 
 彼が大学で授業の補佐をするときは身振りやホワイトボードに
書いたりしたのだろう。大学で受講する際、質問や解答のときも、
身振りやメモ書きで受講した。そのほか、彼が通りがかったこと
を知った町の学校教師が、彼に頼んで講師となり特別授業をも
ったりしたことも数度あった。アメリカではそんなこともできたりす
る。民間人がいきなり授業で教壇に立つことなど、日本では考え
られないのではないか。そんなふうに実をとるために柔軟な考え
に立てるところがアメリカの優れた点なのだろう。

  旅の後、彼は、国連環境計画プログラムの親善大使の任命を
受けたり、原油流出の規制法作成を手伝うことになる。旅の途中
で博士号を取得したことが評価されたが、考え方が独創的で突
拍子もないことも力となった。彼を指名した人から「法案の起草や
経済や環境の分析に関することで、どんなに突拍子もなく非現実
的と思えるものでも構わない」言われる。

 また、遠隔地の人間と会議や話し合いが必要な場合は、徒歩
や自転車で行くなど悠長なことはやっていられない。衛星通信
システム(テレビ会議のようなものだろう)を使わせようという。い
わば公機関で、目的のためにあらゆる手段を許容するという。
日本では、会議に出張する者の交通手段は新幹線とか飛行機、
車など決まっていて、これに従わない者は採用ストップになった
り、採用されてもやがて排除されてしまだろう。

旅に関する三冊(1)

1 「チャーリーとの旅」(ジョン・スタインベック ポプラ社)
 「怒りの葡萄」や「エデンの東」を書いたスタインベックが1960年、
58歳の時に、アメリカを横断し周回した紀行文。この旅で4カ月か
けて1600kmを走った。

 「私は自分自身の国を知らないと悟った。・・・・私はアメリカの言
葉を聞かず、草や木やドブ川のにおいを嗅がず、丘や川の色合
いやきらめきを見ずに過ごしてきた。変化というものに触れるの
は本や新聞を通じてだけだった。何より二十五年にわたってこの
国土に触れてこなかったのである」「だからもう一度見てみよう。
この怪物のごとき国を再発見しようと決心した」・・・・これが、旅の
動機だった。

 そのために準備したのが、積載能力750kgのピックアップトラッ
クだった。内部にはキャンピングカー用の居住スペース、ダブル
ベッド、コンロ、ヒーター、冷蔵庫、照明、トイレ、収納庫などを積
み込んだ。愛犬とともにニューヨークを発ち、ニュー・イングランド
~ひたすら西へ~シアトル~サンフランシスコ~ニューオーリン
ズ~ニューヨークと周回する。

 車に準備したもの中にライフル銃もあったのが、アメリカを感じ
させる。方言が徐々に消え、画一的な標準語に変わっていくこと
や都市化の波が広がっていくのを見て嘆いている。シアトルでは
自分がかつて見た風景が、狂ったように発展している様を「発展
というものは、どうしてこうも破壊と似ているのだろう」と書いてい
る。南部を通過すればいやでも目にすることになる黒人差別の
現場・・・・・。

2 「ハロルド・フライの思いもよらない巡礼の旅」(レイチェル・ジ
  ョイス 講談社)
  
 イギリス南端の町に暮らす65歳の男が、スコットランドに近い町
の病院でガンに冒され死に瀕しているという昔の同僚から手紙を
もらい、それへの返事を手にして、投函しようとして郵便ポストを
探す。ポストは見つかるが、そこをやり過ごして次のポストを探す。
見つけるがまた次のポストへ・・・。ついにそのままスコットランド
方面へ歩き始める。

 自分が行くまで入院中の元同僚の命が続きますように、そんな
願いが彼を駆り立て、80日間、1千キロを歩いて、病床にある元
同僚のもとにたどりつく。

 旅の途中、主人公の妻や息子への様々な思いを読み進むうち
に、背後にある彼の家族関係が解き明かされていく。誤解や行き
違いに惑わされながら、感情の奥そこにある本当の心に気づく
主人公と妻。

 かなり省いてしまえばそんなストーリーだ。
 全く準備もなく、普段着のまま、地図も何も持たず背負わず、コ
ンビニ袋くらいで、旅の始まりとはいえないような徒歩の旅が始
まる。普通、旅って何らかのチケットを求めたり、予約したり、何
らかの準備はするもの、そう思ってきた身には、この小説の始ま
り方は意表をついていて面白い。飽きることなく読みきっていた。

2015年10月22日 (木)

黄葉の白神岳

 
 朝5時に秋田市を出発、途中、コンビニで買った朝食を八峰町峰
浜の道の駅駐車場で摂り、8時に登山口下の駐車場に到着。青森
ナンバーと八戸ナンバーの車2台が先着していた。八戸ナンバー
の車から男女四人が身支度を終え、出発した。私と甥も遅れて出
発。登山口にある小屋で、8時半、甥が登山届を書いている。

 二股分岐で先に発った四人連れに追いつき、そのまま先行し、出
発してから1時間で、最後の水場に着く。色づいた山から水が流れ
ている(青のビニルホースの先から)。重い真鍮製の柄杓で喉に流
し込む。
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 そこからさらに30分でマテ山分岐。5年前甥と姪を連れてきた
ときは、甥が体調不十分で途中から引き返したのだった。どのポ
イントで引き返したのだったか。甥は、あと40分くらいで山頂だ、
と私が言ったのだそうだ。しかし、どうも違う気がする。もっと手前
で戻ったようだ。オレも結構いい加減だなあと思うが、無事に戻っ
たことだし、昔のことと立ち止まることなく先へ進む。
 樹林帯を抜けて振り返ると、空、海、漁港、手前に微妙な色合
いの山。

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11時40分、十二湖コースに至る大峰分岐を通過。山頂には正
午前に到着。360度の展望。岩木山は頂を雲が隠している。広
く奥深い白神山地、南には微かに見える能代港、男鹿半島。4
人連れが到着。請われて記念スナップのシャッターを押す。

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 12時半に山頂発。
 甥に先に行かせる。快調な足取り。明るい茶や黄の明るく混
ざった微妙な色合いの森に潜り込むように下っていく。デジカメ
の操作を教えたり教えられたり。山の黄葉、海から来る光、柔
らかな路、それら秋の山路を楽しんだ山歩きだった。

 3時半に下山終了。駐車場に戻ってきた4人連れは関西の人
たちだった。昨日青森空港に着き、昨晩は一泊(深浦にだろうか)
して、今日は白神岳に登り、明日は藤里駒ケ岳に登りに行くの
だそうだ。私等よりペースは遅かったが、意外に百名山の大半
は登った人たちかもしれない。それにしても贅沢な旅だなあ。

2015年10月12日 (月)

秋盛りの山路

 二日続きの強風が去った日、スキー場オーパスの最上部にある
登山口から中岳に登った。

 山路には黄葉も緑の葉も無数に落ちていた。葉をつけた枝ごと落
ちているものも多かった。そんな落ち葉や梢を、雨は下の方に押し
流し、路の上に流れの跡を残していた。路面があらわになったところ
では、表面の土が流されて、石の頭が浮き彫りになってごつごつし
ていた。そうした様子から風雨の激しかったことが想像できた。

 路の周りはオオカメノキが斜面を黄色に飾り、中には日に透かす
と鮮やかな赤に染まった葉もあった。
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 気温は十五度くらい。登っていくと背負ったザックのところで山シャ
ツが汗で湿り、風に当たると冷えてくるので、Tシャツを中に着込ん
だ。帽子の廂からは汗が滴り落ちてくる。

 正午前に女人堂跡に到着。すぐ中岳へ向かう。前岳の先では今
も倒木が路に横たわっていた。以前から、その倒木には足が置け
るような鉈目が刻まれているが、今日はまだ濡れていて注意をしな
いと滑ってこけてしまいそうだ。

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 中岳山頂には12時40分着。誰もおらず一人占め状態。風もやん
でちょうどいい。おにぎりとマーガリン入りあんぱん、ポカリスエット。
マーガリンというのは、コレステロールを高くしてしまうのだろうか、
と思いつつ山にはよく持参している。

 20分で下山開始。途中ばらばらに3人とすれ違った。女人堂跡の
広場から路に入る角のところに方形の石があった。よく見ると、石の
表面に文字が刻まれていたので、それは石仏の台座だったことに
気づいた。石仏本体はすでに失われてしまったのだろう。この場所
はこの広場への通り道にあって、毎度通過しているポイントだが、今
まで見過ごしていたのだった。太平山系にある石仏を調べた資料が
図書館にあるので当たってみよう。そんなことを思いながら車に戻っ
た。

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2015年10月 2日 (金)

滝ノ上温泉口から乳頭山へ(2)

 ゴーロ状の坂道をこなしつつ高度を上げて、青空の方へ突き進ん
でゆく。ほどなく石積みがあった。そこに立つとようやく乳頭山が見
え、いきなり強風に晒された。今日は甥も同行したが、二人とも雨
具を上下とも着込んで、乳頭山への登りを続けた。

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(↑石積みと乳頭山頂)

 11時20分山頂着。3時間かかった。風が強くて落ち着かないの
で、風の来ない分岐まで戻って昼食とした。下山は、もと来た路を
下る。バッタを見つけたので近くに寄ってカメラを向けると、草むら
に隠れた。さっきは、別のバッタが地面に横たわり、ときに弱弱しく
脚を動かしていた。山の上のこと、日が出て暖かいといってもたか
が知れている。朝晩はかなりの寒気があの小さく柔らかい体に差
し込むのだろう。ましてや今朝は岩手山頂には白いものが見えて
いたくらいだから。

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 濡れた岩に足は置かないように、滑りそうな路面に踵から踏みだ
さないように。慎重に足場を選ぶ。丁寧に下る。木道も濡れていれ
ば滑りやすい。

 マムシ坂から下の樹林帯になり、白沼に出る。秋の広葉樹林はさ
まざまな木々が色づき、木の実も赤く賑やかに風に揺れている。ブ
ナの大木は遠目でも存在感を備え、名の知らない白い老木も、種か
ら発芽したこの場所で春夏秋冬、裸になった枝は半年後には豊か
な葉を茂らせ、秋には色づき、そして葉を落とし、そうして雪や風と
戦いながら歳月を重ねてきたことを思えば、古老をみるような気持
ちになる。まだ粧い始めたばかりだ、葉を落とすにはまだ早いよ。

  段差があるところではヨッコラショとストックに頼りつつ下っていく。
空がすぐ頭上にあるハイマツ帯をゆくのとは違う、何かが自分の中
に起きている。葉が上を覆った林の路では、木々を見れば木々に、
風になびく葉に、揺れる木の実に、路に、石に、草むらに、風が体
を触っていけば風に、ふうーっと溶けて身体も感情もなくなり、目と
耳だけになって、山に融け込んだようで、それを“心地よさ”といえ
ばいえるような、そんな感じになる。靴は勝手に石ころが落ちるよ
うな音をさせている。

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 登る前は寂しく心細い路を想像していたが、どうして意外にもこ
のコースは、三時間の登路中変化を味わえる好ましい路だった。
行路中数か所の道標に書かれた山頂の名は「乳頭山」ではなく、
岩手の路らしく「烏帽子岳」とか「烏帽子岳(乳頭山)」と刻まれて
いた。駐車場は50台は停められる広さで、一面舗装されている。
一角には清潔なトイレを備えた休憩施設があった。下山後、三ツ
石山への登山口を探しに案内板に従ったが、橋を渡ってから左
へカーブするとすぐに見つかった。これも今回の登山の収穫だっ
た。

滝ノ上温泉口から乳頭山へ(1)

 乳頭山に、これまで岩手・雫石側から登ったことはなかった。山頂
に立つと、雫石滝ノ下方面へ延びる路が見下ろせ、そこを登ってきた
人、下山して行く人の姿を見たことがあり、いつかそのコースを歩き
たいと思っていた。先日、その初めてのコースを登ってきた。

 印象に残ったのはコースがよく整備されていたことと、コース沿い
に白沼という沼があること、コース途中から岩手山や三ツ石山など
裏岩手縦走路の稜線が眺められること、乳頭山からは千沼ケ原湿
原を通って戻る周回コースも選べる、などだった。今日は白沼のあ
るコースを往復した。

 登り始めの山路は、刈り払いが昨日か今朝行われたばかりだった
ようだ。コースの一部必要なところを鎌で払ったという印象で、路傍
には刈り払われたササが残っていた。それでも人手の入った登山
道は、放置されて荒れた路とは違って、安心して行き来できる。あり
がたいことだった。

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 つい思いが飛んでしまうが、乳頭温泉郷・黒湯からの路の後半の
一部を覆うあの草は刈り払われただろうか。田代岱山荘から孫六
温泉へ至るコースの下山して初めのあたりの“荒れ”はあのままだ
ろうか。

 山歩きが好きだというただそれだけの者にとっては、歩かせてもら
うありがたさをいうことはできても、コースの整備をどこかにお願い
することは心得違いのことと思えて、何も言うことはできない。行政
がやってくれればいいのになあ、とは思うが。そして、そのコース上
で軽い転倒事故があってもそれは、登山者が自分の不注意を恥じ
るくらいしかできないのかもしれない。そんな思いをもつ者にとって、
今日のコースは、先日の松川温泉から三ツ石山へのコースと同じ
くらい人の手が入っていて、地元の人たちの気持ちが感じられてう
れしかった。

 白沼は、モリアオガエルの繁殖地で、岩手県の指定天然記念物
になっている。野球場ひとつの広さくらいだろうか。樹林帯を歩い
てきてこの沼を目にした後しばらくは、水のある風景を心に広げな
がら登りの路を行く。湖畔のダケカンバの白い幹も印象深かった。
まもなくさしかかる坂はマムシ坂だという看板があった。手書きで、
これも温かさを感じさせる。背後には、先日歩いた三ツ石山から
小畚岳へ至るなだらかな高原の稜線がスカイラインを画していた。
右には山頂部に白い粉をまぶしたような岩手山があった。(帰りの
車のラジオで岩手山は今日、初冠雪だったという)

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(↑白沼)

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(↑白沼の水面に白く反射する糸のようなものが浮かんでいた)


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(↑沼の横の路)

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(初冠雪の岩手山)

 途中、私と同年輩と見える男性が下りてきた。ピストンですか、と
尋ねると「いやあ、昨日、乳頭温泉に泊まって、これから松川温泉
に行きます」という。いま私等が来たコースを滝ノ上温泉口まで下り、
そこの登山口から登って三ツ石山荘手前の分岐を右方面へ下って
いけば松川温泉に出る。ああ、そういうコースのつなぎ方もあった
のだなと思った。山にだいぶ慣れている人のように見えた。

2015年9月21日 (月)

松川温泉から八幡平へ(2)

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別れてからの路は鞍部からの登り返しで、やがて小畚岳から見え
たようなジグザグの路になる。まだ、昼食のときでないが、体が休
みたがっている。前方に女性二人の姿が見える。間もなく八瀬森
から乳頭温泉へ至る縦走コースへの分岐の標柱が立っていた。
そこから2,3メートルくらい刈り払いされていたが、その先は両側
から草が覆いかぶさっている。
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(↑この分岐から先が、乳頭温泉への縦走コース)

 この路を縦走する人は年に何人いるのだろう。私なら、JR田沢湖
駅前に車を置き、JR盛岡に出て、バスで松川温泉に来て一泊。翌
朝から今日のコースを登って、この分岐から縦走コースに入り、草
を分け入り、秋田・岩手の東西に延びる県境沿いに歩いて、八瀬森
から大白森山荘に着いて二泊目。三日目は乳頭温泉に下る。あと
はバスで田沢湖駅前に戻る。そんな行程だろうか。ただ、「草を分け
入り」といっても、問題は縦走路が明瞭かどうかにかかっている。ど
うする。

 そんな夢想にふけるうちに大深岳に着いた。さっき姿の見えた二
人の女性がここでお昼を広げそうなので、私はもう少し先へ行って
みることにした。ただ、ベンチがあって周囲が開けて、といった好適
地はなく、大深岳山荘分岐のところでお昼とした。

 源太ケ岳からは下りになる。岩ころの路だ。しばらく下ると、トレイル
ランの格好をした若者たちが息を切らして登ってきた。最近流行りだ
ものなあ。黄葉のはじまったブナ林の中を下ってゆくと川に出合う。
丸森川だ。昔の木橋は朽ちたまま残っていて、かわりに建築足場に
使うステンレスの板が二連つながれていた。

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 今日は疲れた、早く車に戻りたい、そんな弱音が胸にわだかまるう
ちに、見覚えのある地熱利用施設のフェンスが見えてきた。駐車場
に着いたのが14時30分。出発から6時間10分の山旅だった。それ
にしても、登山地図のコースタイムはかなりゆっくりめでないか。途中
遭遇した彼もコースは逆だったが、同じようなことを言っていた。

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