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2012年4月15日 - 2012年4月21日

2012年4月16日 (月)

山行記録のこと

南木佳士の「山行記」の中に次のような一節をみつけた。

「山行を振り返る記録を書き始めたあたりで、ああ、まだ下りていない『わたし』がいるのだな
あ、と気づいた。(中略)じぶんの一部が、まだ山に残っていると知ってしまったら、山をさまよ
っている『わたし』を言葉の担架に乗せて、静かに運び下ろさねばならない。
」(虫食い状態に
省略したものをつなげてみた)

分かる。うまいことを言うものだなあ。

私も山から帰った後で記録をつけている。自宅からの出発時刻や自動車のルート、登山口か
らのコースタイムや下山時刻、登山道の様子や花、出会った人たちのこと、思いついた事柄
など。

初めて登る山の場合は、その日の多くが初めての体験なので、山を歩くだけではなく下山後
に記録を書くことも楽しみになる。追体験というのか時間経過に沿って思い出しながら書く。

樹林帯を抜けたあたりで首筋や顔が風を感じたとき、山頂がなかなか近づいてくれずザック
を下ろした岩場でかれんな花を見たとき、ガスが飛んで見えなかった山頂部にようやく着いた
とき、たとえばそのような場面場面で自分は身体的に存在したのは確かではあるけれど、下
山してみれば多分に感覚の中にしか存在しえない自分を目覚めさせようとしている・・・という
ところか。

忘れてしまわないうちに書き留めておかないと、そのときの自分やその日一日が雲散霧消し
てしまう、という気持。

それはそうと、今年は故あってまだ一度も山に行っていない。そろそろ始めないと体が、脚の
筋肉をはじめ全身が山を忘れ果ててしまいそうな気がする。習慣にしていいる散歩に昨日か
らはジョギングを混ぜて、まだ雪を残している太平山を遠望しながら雄物川の堤防を歩いて
いる。

2012年4月15日 (日)

94歳、危機を乗り越える

四日前、母に付いていた姉から、母の唇が紫色に変わり呼吸に苦しんでいるという連絡が
入った。早く来てほしいという。

駆けつけると、看護師さんが母の口腔内に指を突っ込んでいる。舌が奥の方に引っ込み、
上あごにくっついてしまうと気道が塞がって呼吸ができなくなる、それをふせいでいるの
だ。

やがて母を診に来た医師と廊下で話をしてから病室に戻ると、母はそれまで鼻孔に差し込
んで酸素を送っていた管の代わりに酸素マスクをはめられていた。持ち直してきたのだろう
か。顔色はいい、けれど呼吸の苦しさは変わらない。2、3分ごとに呼吸が停止したかのよ
うに呼吸音が聞こえなくなることがある。その度に、このまま息ができなくなってしまうので
はないか、という恐れがつきあがってくる。しかし胸は呼吸と同じリズムで上下動を繰り返
している、はげしく。耳元で私はがんばれーと呼びかけていた。

母は頭を強く振ったり、看護師が私らに断ってベッドガードにくくりつけたベルトで両手を拘
束されていたが、その拘束帯を振りほどこうとするような動きをする。眉間にしわを寄せ、
口を大きく開けて苦しげに呼吸を続けている。無呼吸のような状態が何度もやってきたが、
再び呼吸が戻るので安堵する。そんな繰り返しだ。

ときに酸素マスクが下にずれて鼻腔から外れてしまうのでそれを元の位置に戻したりし
た。呼吸することがこんなに苦しいものなら、その呼吸をさせるために私がするそのような
小細工は、その苦しさの極みに何度も追い返してやるのと同じではないかと思ったりもし
た。

といってマスクを外すことなどできはしない。やがて看護師さんが加湿器を運んできて口の
方へ向けて噴射してくれた。激しい動作を抑える薬を投与した。血圧、酸素濃度、体温、脈
拍は良好だという。

母にその時が来るのなら苦しみの極みの最中ではなく、安らかなときに訪れてくれるように
祈るしかなかった。

昨日、母は呼吸が楽になり、喉に障るような呼吸音が小さくなった。今日、酸素マスクは着
けているが、呼吸はかなり楽になっていて、それまでしていた点滴は不要となった。母に私
はどう見えているのか、私が頷いてみせると母も頷いてくれる。何と勁い94歳だろう。

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