« 2012年2月12日 - 2012年2月18日 | トップページ | 2012年2月26日 - 2012年3月3日 »

2012年2月19日 - 2012年2月25日

2012年2月24日 (金)

ブログのタイトル(名前)変更のお知らせ

これまで「かたつむりのブログ」の名で掲載してきましたが、この名前でブログを立ち上げてい
る方は多く、ブログ名でネット検索をする際に私のブログを発見することはこりゃ難しいと思い
至りました。そこで、ブログのタイトルを次のように変更することとしましたので、お知らせ致し
ます。
なお、URLはこれまでと同様です。                                                  

  変更前:かたつむりのブログ
  変更後:かたつむりの旅だよブログ
  変更日:平成24年3月1日
  なお、ブログ名の変更手続きがうまくいかない場合もあるかもしれません。その際は、従
前どおりの名で掲載を続けます。

 今後も、小生のブログ閲覧、あたたかいコメント投稿などいただきますようよろしくお願いし 
ます。

2012年2月23日 (木)

水仙が開花した

今日は一日雨模様。                                                                      

2012_0223_131851p1010848

この前、カミさんが家の中にあった水仙の球根を見つけた。カミさん、即興でガラスの容器に
水を入れて黄色のネットをかぶせ、そこに球根を載せて、日のあたる出窓に置くと、数日後、
見事に開花した。

私はこれまでも、カミさんの手になる花々を有り難く、何度か描いてきた。そのたびに見せた
りすると、瞥見してから「自分で花を生けたり世話したりしない人の絵は、何かが足りない」と
か、「絵を描くということは難しいもんだ」などとのたまうのであった。それでも私はめげたりし
ない。 

2012年2月22日 (水)

気仙沼のカキ漁師畠山さんの言葉

今月、国際森林フォーラムの「国際森林ヒーロー」に選ばれた気仙沼のカキ漁師畠山重篤さ
ん(NPO法人「森は海の恋人」理事長、68歳)のインタビュー記事が、今日の朝日新聞に載
っている。

豊かな海には豊かな森林が必要だと、四半世紀の間、流域の山々に木を植え続けた活動が
認められて「ヒーロー」に。

畠山さんは、東日本大震災で養殖いかだ70基、船5隻、車両5台、作業場、加工場など仕事
関連で2億円の被害を受け、最愛の母親を失った。

震災1ヶ月後には、それまで濁っていた海水が徐々に澄んできた。専門家の調査でプランク
トンや酸素含有量などカキ養殖のための環境が戻りつつあることが分かった。今では震災前
と変わらない状況にまで戻っているという。

○印象に残った言葉

「三陸で暮らす養殖業者は、必ず壊滅する宿命を背負っているのです。」

「国も行政も『岩壁を直す、防潮堤を高くする』という話ばかりするが、もっと海の背後にある
森に目を向けるべき。自分は製材機を買った。製材機があれば地元の木を活用して家を造
ることができる。川の流域には戦後に植えた杉が多く残っている。その間伐が進めば、森に
光が入って養分が蓄えられ、それが川に流れ込み、海を豊かにする。私たちはしばらく、住
宅や木材関連のアルバイトをしながら、海がよみがえってくるのを待ち続ける。それが私
の“復興へのシナリオ”です。」

2012年2月21日 (火)

「イワン・イリイッチの死」読了

アルフォンス・デーケンがその本の中で勧めていたので、2週間ほど前に図書館から借り
て読んでいた。(北御門二郎訳 地の塩書房刊)

トルストイ作。

主人公イワン・イリイッチが成長して仕事に就き、やがて結婚生活、昇進などを経て控訴院
判事になるが、45歳のときに腎臓と盲腸を患って病の床に就く。自分が死に向かっていく
ことを意識してからは、周囲にいる家族にも友人に対しても懐疑的になってゆく。

病による苦痛が増してくる中で、自分の来し方を振り返ると「生き方が間違っていたのでは
ないか」と思うようになる。そして、自分が依存してきた世間的な価値観を「ことごとく生と死
を覆い隠す巨大な欺瞞」だと悟る。そう考えると憎悪と激しい肉体的苦痛と、目前に迫った
逃れることのできない破局の意識に襲われる。

なにもかも間違っていたと思う。息子と妻がそこにいた。自分が家族を苦しめていると同情
し、心の中で許しを乞うた。そのとたん、彼を今まで苦しめていたものが一斉に飛散してい
った。家族を苦しみから救い、自分も苦しみから逃れなければと願うと、苦痛からも死の意
識からも解放されるようになる。

恐怖は全然なくなり、代わりに光が見えた。その後、誰かが頭上で臨終を告げると、彼は
「死は終わった、もう死は存在しない」と思った。そして息を引き取る。

以上があらすじ。

死に際に、突然自分の人生が誤りだったのではないかという懐疑心が沸き起こり、それを
打ち消すことができないと知ることはかなりの打撃だ。

死を目前にすると、これまで人生のさなかに意味を見出して生きてきた価値観がはぎとら
れる。では何に救いを求めたらよいか。家族に許しを乞い、同情し、心からの愛を感じ伝え
る・・・ということだろうか、この小説の場合。

息を引き取るその前に「死は終わった」(生は終わった、ではない)との思いを書いている
が、死がその瞬間にあるのではなく、その瞬間に至るまでの思いや出来事や苦痛や苦悩
やらのすべてを死だととらえているようだ。

では、それはいつから始まるのか。すでに始まっていると言っているようだ。生の中に死が
あると。

翻訳した北御門さんは大正2年生まれ。翻訳者ではないがトルストイに心酔し、熊本県で
農業を営みながら「アンナカレーニナ」「戦争と平和」「復活」を翻訳したとのこと。あとがき
には、日本語に訳した単語を単に当てはめるのではなく、心訳を心がけたと記してあった。
この本も確かに読みやすい翻訳だと感じた。

2012年2月19日 (日)

古代から始めてみようか

昔の言い方をすれば「出羽の国」に生まれ、今も住んでいて思ったこと.

自分はあの坂上田村麻呂が今の宮城や岩手に遠征し、その地の蝦夷を征討したその時代
の蝦夷(えみし)の末裔なのか。地域が少し違うか。時の政権が秋田城を設置して支配して
いたこの地の蝦夷の末裔か。

権力に抵抗していたがやがて帰順した地元民を俘囚というのであれば、自分はその俘囚の
末裔か。

アイヌ民族の地名が北東北には残っている。田畑を耕す農耕生活はせず、狩猟で暮らしてい
たアイヌ。自分はその末裔か。

結論からいえばそんなこと分かるわけはないが、そこをきっかけにして図書館から蝦夷(えみ
し、後年えぞと呼ばれる)について書かれた本を少し読んだりした。それなりに面白く、最近は
三田誠広の小説「桓武天皇」を読んだ。大化の改新、平城京、奈良の大仏建造、孝謙天皇、
藤原仲麻呂、大伴家持、最澄、空海・・・・。

日本が朝鮮の百済に援軍を送ったものの新羅と唐に敗れた(白村江の戦)が、日本に逃れて
きた百済人が日本の仏教文化に果たした役割は大きいという、そもそも桓武天皇が百済人
の血をひいていること・・・。

面白い。まだ漠然としたイメージでしかないけれども、この時代を切り口にして日本の歴史を
眺めてみるのもいいかもしれない。

« 2012年2月12日 - 2012年2月18日 | トップページ | 2012年2月26日 - 2012年3月3日 »