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2013年5月19日 - 2013年5月25日

2013年5月23日 (木)

姫神山は山野草の山だった

 
 5月22日、今回は城内コースから登ることとした。甥が同行。田沢湖生保内の
ローソンで朝食。

 国道46号線から滝沢村、滝沢分レを経て国道4号に入って北上、渋民から芋
田の辺りで東に向かう。駒形神社脇を通って、やがて一本杉コースとの分岐が
ある。案内板が立っている。城内コースへの道、右へ南下。この道は広域農道
になっている。やがて案内板があり左の道に入る。何かの工場らしき施設を左
に見て坂を登るうち、発破現場立ち入り禁止という物騒な看板があるが、すぐ左
に目をやると、もう登山口駐車場に入っていた。先着の車が1台来ていた。意外
に広い。ここまで3時間半かかった。

 岩手ナンバーの車から男女5人が出てきて何やらのどかな話しぶり。男は一人
だけだ。メンバーに女の人、それも中高年の人が混じっていると、何とこうもくつ
ろいだ雰囲気になるものなんだと感心する。私たちが支度をしているうち彼らは
もう出かけていた。

 姫神山は標高1124m。登山口にある案内板には、江戸時代に岩手山、早池
峰山と並び、南部三霊山として信仰の対象とされてきたこと、明治になって山伏
の信仰の跡を残していることなどが書かれている。現在地は「大和僧登山口」と
いうらしい。

 9時50分出発。山道は広めに整備されている。スギ林だが適度に間伐や枝打
ちなどが施されているためか、陽の光が林内に入って明るく心地よい。

 そうも歩かないうちに次々と案内板がある。「たたら石」、「清水社」という水場、
出発後30分で「小姫神」があり、次に「水石」、これは大きな岩の上部が水を受
ける皿のようになっている。ただ、今はやや傾いていて、雨が降っても水は流れ
出てしまうのではないか。辺り一帯はまだ葉をつけていない白っぽい幹のダケカ
ンバ林だ。

 11時に名物「笠石」に着く。このコースの道々に、いろいろな岩があって飽きな
い。間もなく岩場に入る。大岩をよじ登り、隙間に足を入れて次の岩に手をかけた
りしてこなしてゆく。背後には岩手山が、今日はかすんで見えている。すぐに山頂
部に着く。

 到着は11時20分。秋田の太平山もほぼ同じ標高だが、旭又からは標高差80
0mで登りに2時間半要する。しかしこちらは標高差570m、1時間半で山頂を踏
めて眺望を楽しめるから、こちらの登山の方が楽だ。

 大きな岩を風除けにしておにぎりを頬張っていると、70歳代くらいの男の人が
一本杉コースから登って来たようで、私らの近くから彼に声をかけた人に聞くと、
何でも先日、姫神山登山四千回を達成した人で地元では有名人らしい。なんと恐
ろしい人もいるものだ。まるで一万日連続登山をやった東浦奈良男さんみたいだ。

 風が強く寒くなってきたので12時に下山開始。さっきは岩場を登ってきたが、左
脇に道がありロープも張ってあったのでそこを下る。登りの時には目に入らなかっ
たようだ。

 清水社まで下りてきて、水を飲みつつ辺りをふと見ると、アレ、ヒトリシズカでは
ないか。これまで図鑑でみることはあっても実物にお目にかかったことはなかった。
感心して目を横にやると、ヤヤ、あれはイカリソウではないか、これも初顔合わせ
だ。と、さらに横を見ると・・・今度はヤブレガサだ。 

 先ほど久しぶりにツバメオモトを見たばかりだったのに、今度はチゴユリまで咲
いている。ほかにも珍しい(自分にとって)花があったが名前がわからない。こん
なに山野草を見られるとは、かなりいい山だ。甥は花などどうでもよかったはずな
のに私につられてカメラを向けたりしている。珍しいこともあるものだ。

 いい気分で駐車場に着いたのが午後1時15分。残ったパンを口に入れながら
ブラブラ駐車場の中ほどまで来て、何気なしに振り仰いでみると、緑の木々の上
端から、あの三角形の頂がちょこんと顔を出していた。私たちに、おーい、また来
いよなあ、と言ってくれているようだった。

 

2013年5月20日 (月)

「新編邂逅の山」を読む

 1991年刊。著者手塚宗求(てづかむねやす。1931年(昭和6)松本市生~
2012年(平成24)9月没、80歳)

 高校時代を山岳部で過ごし、卒業後、1956年(昭和31)には25歳の若さで、
当時無人だった信州霧ヶ峰高原に10坪弱の山小屋を創設、2年後には22.2
坪に増設した。しかし、翌年の伊勢湾台風で小屋は全壊した。幸い数百人から
の資金援助や融資で年内に再建。

 さらに2年後には本人家族の住宅用山小屋を近くに建設した。しかし、その後、
自然公園法に基づく国の通知がだされ、以後、現状以上の規模にすることが禁
じられることとなったため、1979年(昭和54)、家族用山小屋を解体撤去し、そ
の面積分を登山者用山小屋に加えて増築、家族もそこに移り住むこととした。

 山小屋の建設をはじめ小屋の維持も、水の確保、食糧の買い出し、長男が幼
児のころの救急時のこと、小屋の解体のこと、どれをとっても大変な苦労だった。
今のような文明の利器があってもなくても、標高2000m近くで生活することが、
無雪期はもちろん厳冬期にはどんなに大変だったか、これは読んで想像するし
かない。頑健な身体と強靭な精神がなければ、やってこれなかったろう。

 1981年(昭和56年、50歳頃)までの25年間、山小屋での生活や人との邂
逅や別れを回想しながら書かれたエッセー20篇だが、その一つひとつに物語
が展開されている。そして詩的な感性で言葉が選ばれているようにも感じ、さら
に芸術的なものへの傾きも感じられる。

 幾篇かの詩も載っているが、著者にとって詩とか芸術は何なのか、人生の趣
味や文章表現上の飾りといったものではなく・・・信仰(大げさ?)・・・に近いもの
・・・だったかも。

 著者の没後、山小屋「ころびっくる ひゅって」は息子さんの手で今も続けられ
ていて、今年で創立57年目になる。小屋の名前でホームページが設けられて
いた。折があったらカフェにでも寄ってみたい気がする。

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