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2013年5月26日 - 2013年6月1日

2013年6月 1日 (土)

丁岳山開きに参加

 平成12年(2002年)に行って以来11年ぶりの丁岳(ひのとだけ)登山。
 
 

 天気は上々。大平キャンプ場での受付9時に間に合わあせるためには自宅
出発7時ではやや出遅れ。そのため高速道を軽快に飛ばし、本荘ICで下りて、
ローソン本荘荒町店で食糧調達。その後も国道108号(矢島街道)をぶっ飛
ばす。

 8:50キャンプ場着、参加費用1000円払う。丁岳の登山道イラストマップ、
観光リーフレット配布受ける。神官によるお祓いや関係団体や山形県真室川
町の人の参拝の後、記念写真撮影。先ほどの参加費用は写真代等に回され
るはず。マイクロバスで登山口へ。

 何人が一般参加か分らないが、関係者も含め40人くらいだろうか、登山口
にうようよ。9:40登山開始。先頭集団に入る。

 コピーして持参した地形図の幅の立て込んだ等高線の尾根伝いに、早くも私
の後ろには人声が聞こえなくなった。前には3,4人がいるだけ。もっとゆっくり
歩いてもよかったが、なぜか頑張ってしまう。

 イラストマップにはいろいろ表示してあるが、指導標がほどんどないため現在
地がわかりづらい。昨年からのブナの落ち葉が堆積して、足を踏み下ろすごと
に乾いた音が立つ。仰ぐと新緑のブナが気持ち良い。深呼吸してその緑を胸郭
に広げる。

 11時、「観音岩」と書かれた板が置かれている。マップと突き合せると、かな
り上まで登ってきたことが分る。ここで、どれが観音岩か居合わせた者同士で
当てっこをしたが結局わからずじまいだった。

 分厚い雪渓が目の前に立ちはだかっている。樹が横倒しになっていてそこに
足をかけて何とか登る。徐々に山道に脇の残雪から融けた水が筋を作って流
れてくる。やがて一面に広がる残雪。先導する地元山岳会の人が、いまどきこ
んなに残雪が多いことは滅多にないと、驚いている。

 11:45山頂着。萱森方面に足を延ばし、月山を眺め、山頂広場に戻ると大
方の登山者たちが到着していた。隣りに腰を下ろした夫婦連れは、以前、蓼科
や富士山に行き、昨年は白山に行ったらしい。その隣は本荘から矢島間の約
30キロを3時間15分で走った由。以前、祓川から鳥海を登っているとき、自分
を追い越した人がなんと下駄ばきであったという話を私がすると皆びっくり。右
となりの人は今度石垣島で潜るとか、森吉の赤石川を遡行したいなどという。

 互いに見知らぬ者同士だが、同じ行事に参加した気安さから、皆勝手に気儘
な話をすることも行事登山の大きな楽しみだ。

 山岳会長が一等三角点の解説を始めた。丁岳には東日本大震災の後、一等
三角点を設置し、隣にある明治期の三角点と二つ並んでいる。これは珍しいこ
と。明治期のは、新田次郎の小説「剱岳 点の記」で主人公なった柴崎芳太郎
が設置したもので、柴崎は山形県人だという。ほかにもタメになる話を披露した。

 13時下山開始。山岳会員が鳥海山をまともに展望できるポイントに案内して
くれた。雄大な東面斜面には、残雪がちょうど霜降り肉にも似た斑模様を作って
広がっていた。下山再開。しばらく下るうちに、棒のように硬くなる脚やそれを補
おうとぎこちなく振る腕の運動を繰り返すうちに15時登山口に着く。役場の人た
ちが冷たい麦茶と塩をふるまってくれた。これが有難く、また実に美味だった。

 丁岳の標高は1145mで秋田の太平山とほぼ同じ。ただ、傾斜がきついだけ下
山が苦しいのはこちらの方かもしれない。




 

2013年5月31日 (金)

荷風の「濹東綺譚」を読む

 
 「昭和十一年ころの玉の井の色町を背景として、わたくしなる人物と娼婦お雪
とのはかないえにしが、秋の季節の移り目とともに消え去ってゆくさまを詩情を
以て叙し、人物の性格や心理を描くよりも玉の井の謂うところの迷宮の風情を
香気漂う如くに描いた」(新潮文庫 秋庭太郎の解説)とある。

 東京の町のことはほとんど知らない。小説の書かれた昭和12年の頃の浅草、
江戸川など遊郭のあったという辺りについては当然知る由もない。主人公はお
雪に会いにこの隅田川にかかる幾つかの橋を渡ったりするが、往時の町並み
に少しでも心当たりがあれば、この小説の味わいは一層濃くなるだろう。
 

 関東大震災後の様変わりしつつある東京の町並みのことを知らなくても、何か
読ませるものがある。地方から上京した人たちが、近世から明治にかけて作り
上げられた東京らしさを徐々に変えてゆくことが書かれている。消費社会の始
まりを予感させる。

 「個人めいめいに他人より自分の方が優れているという事を人にも思わせ、ま
た自分でもそう信じたいと思っている・・・その心持です。優越を感じたいと思って
いる欲望です。明治時代に成長したわたくしにはこの心持がない。あったところ
で非常に少ないのです。これが大正時代に成長した現代人と、われわれの違う
ところですよ。」

 東京の人たちに、人を押しのけてでも自分を優先させるという傾向が見られる
のがこの頃からだというようなことも書かれていて興味深い。その傾向はやがて
国中に広がっていくことになるけれど。

 大正期に永井荷風は自宅を購入してから親類縁者はもとより文壇人とも新聞
社とも交渉を絶った。そし芸妓、私娼など女出入りが頻繁で愛妾も囲っていたと
いう。荷風の年譜にもそれと分る女性の名前が多く出てくる。結婚と離婚を2回
している。荷風は女性に何を求めていたのだろう。


 

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