« 2013年6月23日 - 2013年6月29日 | トップページ | 2013年7月14日 - 2013年7月20日 »

2013年7月7日 - 2013年7月13日

2013年7月 8日 (月)

「諒鏡院・佐竹悦子の生涯」を読む

 7月に入って三日目あたりから、これまでのカラカラ天気から一転して雨の日
が続いている。まだ序の口と思っていた雨の降り方も、家の中に入ってくる湿気
も、四、五日するともうすっかり梅雨まっただ中を感じさせるほどになってきた。

 亡母の一周忌を、身内だけの少人数で済ませたとはいえ、寺の祭壇への供
え物の準備は当然として、関西から来た兄への連絡や、お寺さんへの挨拶代
りの菓子とか兄と連れ立ってきた兄嫁への土産物選びや、寺から遠い地にあ
る墓地公園に移動し墓参をしてから会食会場への到着時刻が大幅に違わな
いような調整などをし、一通り終わってみればそれなりの疲労感が残った。

 ここ数日かけて「諒鏡院・佐竹悦子の生涯」(伊藤武美著 無名舎出版1993
年刊)を読んだ。「りょうきょういん」と読むのだろうか。この人は土佐藩主山内
豊資の娘で、長じて第十一代秋田・久保田藩主佐竹義睦の正室として迎えら
れる。悦子の父親は豊資(とよすけ)というが、叔父は豊信(とよしげ)といい、
号は容堂という。何と、一昨年のNHK大河ドラマ「竜馬伝」で近藤正臣が演じ
た土佐藩第十五代藩主のことだ。悦子はその姪だという。

 テレビの近藤正臣演じる容堂は五、六十歳くらいに見えたが、1972年に亡
くなった時は四十四歳だったというのだから実は若かったのだ。

 江戸城の大広間における会合の席で、義睦と隣り合わせた悦子の父豊資が、
成長した義睦と初対面し、眉目秀麗な顔立ちと全くそつのない対話から、その
人柄がすっかり気に入って、娘の悦子との婚儀が早急に取り運ばれた・・・とい
うのが二人の結びつきのきっかけだったらしい。

 政略結婚はあちこちに見られた時代だったとしても、明治維新の原動力の一
翼を担った土佐藩主の姪である女性が秋田・久保田藩主に嫁していたとは驚
きだった。

 しかし、正室として迎えられてからたった一月で、義睦は十九歳で病死した。
悦子は一歳年下だった。新たな藩主義堯の下で、悦子は故郷の土佐に戻るこ
となく、江戸の久保田藩邸でいわば「後家」として新たな人生を始め、秋田で過
ごすことも多かったようだ。そして大正五年、七十六歳で没することとなる。

 悦子に関する資料はさほど多くはないようだが、そこを想像力で補い、悦子
の心境にまで踏み込んで筆を進めている。京都守護職にあった会津藩にも、
勤王派の各藩にも心情的に肩入れすることなく、戊辰戦争を「戦うための大義
名分が明確ではない。戦争の空しさをこれほどまではっきりと教えている戦争
の例はほかにはない」と述べている。

 戊辰戦争前後の秋田藩については「一連の戦局の経緯を冷静に判断すると、
矛盾と拙劣な対応に驚嘆するばかり」という。豊資や容堂と悦子は何らかの情
報交換があったに違いないと著者は想像し、悦子にとって秋田藩の対応には
失望するものがあったのではないかと推測している。

 私は歴史には門外漢だが、この本は歴史を公正に読んでいるような感じが
して好感がもてる。史料が乏しい分推測を入れているものの、推測は推測と
わかるような書き方をしている。奥付の著者略歴によると伊藤武美さんは19
27年(昭和2年)生まれ、現住所は秋田市山王という。かなりの専門家である
ことがうかがわれる。ほかにも「佐竹義宣と正洞院」「佐竹義敦と桂寿院」など
を著している人だ。

« 2013年6月23日 - 2013年6月29日 | トップページ | 2013年7月14日 - 2013年7月20日 »