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2013年8月25日 - 2013年8月31日

2013年8月26日 (月)

笑顔の遺影に向かって

 この数日、昼下がりの陽ざしが強く、夕方に近づくほどに斜めから射してくると
目に痛いほどだ。そんな強い陽を当てにして、今日は午前から押入れの寝具な
どを引っ張り出して、天日干しにして過ごした。

 義父が緊急入院してから一カ月と十日、八十九歳の命を閉じた。そして葬儀を
経てから一週間余りが過ぎた。急な波が押し寄せ、ようやく退けていった感があ
る。高齢で、しかも特別の役職にあったわけでもないのに、会葬者も、近隣から
弔問に訪れた人も意外に多かった。

 戦後、四年間のシベリア抑留から帰還して以後、七十年近くもこの地域に暮ら
してきたから知り合いが多いというだけではなく、明るく飾らない人柄で、また家
屋のちょっとした修繕や趣味で始めた表具など、人に頼まれれば気さくに引き受
けたりしていたし、気軽に声を掛けたりかけられたりしていたこともあって、死を
惜しむ人が多かったのかもしれない。

 製紙工場での仕事が長かった。工場はいくつかの工程に分かれているが、自
分ほど多くの工程を経験した人は少ないといい、おかげで、本社から視察に来
た上司への説明を、この学歴もない自分が任されたこともあったと、誇らしげに
語ることもあった。

 昨年、大腸にガンが見つかり半分切除しなければならなかった。数か月後には
家族は余命三カ月から六カ月と宣告されたが、本人は元気だった。シベリア抑留
中に受けた衛生教育を、晩年に実践するようになったようだ。外来待合ホールで
難聴気味だったため大きな地声で、ロシアの衛生教育の正しいことを私に説くこ
とが何度もあった。

 そして、外来診療で、医師に「自分はシベリアで衛生教育を受け、それに従って
健康に気をつけて実践してきた。やるべきことをやってきたのだから、ガンといわ
れ死が近いことを知ったが、後悔はない。抗がん剤は使わず、これまでどおり家
庭で、残った日々を送りたい」と訥々と語った姿は立派なもので、傍にいた私は
ただ感服するのみだった。

 今年の春先から、小屋(義父の作業場ともアトリエともいえる、義父の愛着の空
間だった)で終日過ごすことが多くなった。絵や額、掛け軸、工作した小物、それ
に作業の途中で出た端物などを処分し、残ったものを整理したりしていた。

 それらの中には精進の年月を込めて丹念に作り上げたものもあったはずだが、
それを自分の終わりの準備として処分し、整理する気持ちはどのようなものであ
ったろうか。粛然と黙するほかはない。

 幼少期に父を亡くしてからは姉弟のために働き、戦争から帰った後は家族のた
めに働き、家族を慈しんで、普通にそしてまっすぐに生きた。病床で一時苦しみ
の極みを味わったが、やがてそれを超えてからは、薬効のお蔭もあったが安らか
な数日の後に息を引き取った。

 カミさんの実家の、まだ忌明け前の祭壇に三人の孫に囲まれて頬ほころばせた
遺影がある。その笑顔に向かうとき、大変な八十九年だったよね、けど、いい人生
だったね、と語りかける。

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