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2013年12月22日 - 2013年12月28日

2013年12月26日 (木)

「本は、これから」を読む

 池澤夏樹編 岩波新書
 

 明徳館でこの本を借りた翌日、折しも、近くの書店のカウンターに電子端末
で読める作品カード(というのか?)を見つけた。数日前の新聞に出ていたの
はコレかと思った。

 作品カードを買った人は、そこに記載された番号をもとに電子書籍をダウン
ロードすると読めるようになるらしい。業界ではアマゾンが抜きんでて販売実
績を上げているようで、これに対抗すべく、国内の書店や楽天、ソニーなどの
電子書店、日販、トーハンなどの取次業者が、書店での電子書籍販売に乗
り出すという記事だった。この書店ではそれほど目立ったところには配置され
ていないので、私等の地域のニーズは多くないという判断が見える。そうだろ
うと思う。

 この本は、電子書籍が普及し始めているなかで、本はこれからどうなるの
か、書店、古書店経営者、図書館職員、装丁者、編集者、読み手など三十
七人が、「本は、これから」という共通項でエッセイを寄せている。

 紙の本と電子書籍の相違点、長所、短所がいろいろ出てきて、それらは自
分が感じていることと大体同じなので、あえてここに書き出す必要はないが、
紙の本はなくなってほしくない、なくならない、という考察や本への愛着の所
以が熱く述べられていて面白い。

 そのなかから印象に残った部分を抜粋すると・・・

 「紙の本では頁をめくるごとに、『読みつつある私』と『読み終えた私』の距
離が縮まり、同時に『読み終えた私』の感じている愉悦が少しずつ先駆的に
先取りされる。そして最後の一頁の最後の一行を読み終えた瞬間に、ちょう
ど山の両側からトンネルを掘り進んだ工夫たちが暗黒の一点で出会って、
そこに新鮮な空気が流れ込むように、『読みつつある私』は『読み終えた私』
と出会う。読書というのは、そのような力動的なプロセスなのである。」(内田
樹)

 電子書籍ではこの「読み終えた私」への小刻みな接近感を味わえない。
紙の本では「物語の終わりの接近感」は指先が抑えている残り頁の厚みが
次第に減じてゆくという身体実感によって連続的に告知されている。だが電
子書籍ではそれがない。と続けている。

 南陀楼綾繁という人が「一箱古本市」というイベントを紹介している。大小
さまざまな道や路地に面した店舗の前のスペースを借り受け、そこで一人
一箱分の古本を販売する。店舗(スペース)の広さはまちまちで、二箱しか
並ばない大家さんもいれば、十五箱がひしめく大家さんもある。本を販売
する「店主」には誰でもなれる。普通の本好きの人が多い。その市での通
行人とのコミュニケーションを楽しんでいる様子も紹介している。東京以外
の名古屋、仙台でも、図書館や寺の境内といった場所で開催されるそうだ。
紙の本ならではの楽しみ方だ。

 「巧拙には差があっても、世間となんとか折り合いをつけて続けてきた私
たちの人生。でもそろそろここらで、『死』とまともに向き合うタイミングでは
なかろうか。・・・『死に方を学ぶ』とは、生き方を、すなわち人生を学ぶこと
に等しい。したがって私たちは、新しい読書機械を上手に使いこなす必要
などさらさらない。従来の紙の本を、今度こそ、しっかりと読んで、しっかり
と考えることが必要とされているのだ。・・・そういえば聖ベルナルドゥスは、
読書行為について『食物を反芻する牛になりきるのです』と述べていた。
価値あるテクストを、ゆっくりと、繰り返し読んで消化して、生きること・死ぬ
ことの糧となすこと、これがオレ流の『本は、これから』なのである。・・・ス
ローな読書には、やはりしなやかな紙の本こそがふさわしい。」(宮下志朗)

 私は電子書籍というより、電子辞書には関心がある。国語、漢和などの
ほかにカタカナ語や歴史辞典、季語を収めているものも売られているよう
で、近くに置きたいと思う。紙の分厚い辞書を何冊ももっているより場所を
とらない。

 一方、電子書籍の必要性はさほど感じない。本を読みたければ図書館
から借りて読むことが多い。館内の書架に並んでいるものの中から選ん
で、それで不満はない。事前に蔵書検索をして目当てを付けてから出か
けることもある。借りられるまでの待機人数が十数人という新刊の人気
本もあるが、それは待つか、いったん諦めて後日関心が持続していれば
再度申し込む。

 また、読後は図書館に返すわけで、本が手元に残ることがないから、自
宅の本棚のスペースはまだある。長期の旅行があって本を数冊持ち歩く
といった計画もない。だから、電子書籍が本当に必要となるのは、視力が
衰えて、端末画面の文字を拡大できる機能に頼らざるを得なくなってから
のようだ。

 こうして電子書籍について本を読んだり、図書館について触れたりして
いるうちに、二十代から三十代初めにかけて、仲間と同人を組んでガリ
版刷りの詩誌を出していた頃のことに思いが遊んだ。

 当番でガリ切をした。印刷日には同人が一堂に会して謄写版で印刷す
るのだ。インクを引き、ゴムのローラーにインクを付け、原紙を張った網
の上にローラーを転がす。ロウ引きの原紙は時に縒れたりして、それが
紙に忠実に汚れとも模様ともとれる線を残した。

 謄写版を上げると、白い紙に担当した者の個性ある文字が印刷され、
気がつくと手もインクで汚れたりした。百数十枚印刷して丁合し、ホッチ
キスで留めて積み上げる。それはいわば家内手工業的な作業による
産物だった。中身の一つひとつの詩などの作品同様、同人誌自体が一
つの作品でもあった。

 電子書籍は画面をスクロールさせたり、ページをめくる動きもできるよ
うだが、どこか実体なさげな“情報”を見るようなイメージがある。私等の
あの同人誌は電子書籍とは対極にあるような世界であり、インクのにお
いも新しく外の世界に差し出す手作りの詩集であった。

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