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2014年12月14日 - 2014年12月20日

2014年12月14日 (日)

「菅江真澄みちのく漂流」を読む

 菅江真澄遊覧記はもとより、菅江真澄に関する研究書も今まで手にしたこと
がなかった。わずかに「秋田市大平郷土史」の中で、太平山に関する記事を
読み進むうちに、真澄が野田部落から太平山に登った話があって興味深く読
んだことがあった。

 真澄は、寺内に滞在していた文化9年(1812年)7月半ば、那珂道博という
人から太平山登山の誘いを受けた。数日後に野田口から登山し、山頂に一泊。
翌日は御手洗から旭又経由で仁別に下山した。その後、記述では地蔵流れ
四辻を経て木曽石沢、矢櫃沢、栗の木台、川原村に出て嵯峨家に到着した、
と記されている。

 いま、御手洗には菅江真澄の名を記した標柱が建てられている。旭又から
仁別へは旭川に沿って下っただろうか。下ったという仁別とは今も集落のある
あたりだろうか。だとすると、地蔵流れ四辻に登る前に一旦集落まで下ってか
ら再び、渓流沿いに遡行したことになり、腑に落ちない。仁別とはそのあたり
広い一帯を指し、地蔵流れ四辻への登り口をも仁別と呼んだのだろう。

 旭川沿いのある地点から登って地蔵流れ四辻に至った。その路は今は使
われていないと思う。この地蔵流れ四辻は、今、ザ・ブーン隣の森林学習館
入口向かいにある登山口から前岳へ登るコース上にある。秋田文化出版社
「太平山登山総ガイド」(1979年)には、この四辻の標高を270mだと記して
いて、地形図上にさがせば分かる。しかしその後、木曽石沢、矢櫃沢に出て
いるが、どこをどう通ったのか。そんな疑問をそのままにしている。

 表題の本は簾内敬司著2001年1月岩波書店刊。著者とは若いころ一度
会ったことがある。白鳥邦夫という高校教師の薫陶を受けて、詩を書き、個
人で出版社を立ち上げた。その後文筆活動を続け、十数冊の著作がある。
その程度しか知らないが、以前「獅子が森に降る雨」という彼の本を読んだ。
花岡事件のことなどに触れ、人間の生き方に時折はたらきかける記憶の力
について書いていた。

 著者は真澄の歩いた風景を自分も歩いていく。真澄の後姿を追うように。
旧雄勝郡小野村で小町のことにふれ、小町が最澄や空海、田村麻呂らと同
時代を生きていたことを指摘したり、佐竹藩が藤里町の太良鉱山からとれた
粗銅から銀を取り出して密鋳銭を製造していたことなどにふれている。マタ
ギを生んだ阿仁地域のなかでも根子集落の風景に「本当の意味で、自然と
人間の調和ということを考えるときに、根子の景観を思い浮かべずにいられ
ない」と賛えている。また、柳田國男が、椿を日本海側北日本に運んできた
のは婦人だったと想像していると紹介したうえで、著者は津軽十三湊や能代
桧山城などを根城に日本海北方交易に勢力を張っていた安東一族の船乗
りたちが椿を持ち運んできたのではないかとみている。

 このような具合に、真澄の旅先を自ら訪れながら、往時の人々や文学、文
献や伝承の世界に分け入って、独自の解釈、新たな意味づけを試みたりす
る。話は青森・六ヶ所村の放射能廃棄物貯蔵施設や北朝鮮の飢餓状況にも
及んだりして縦横無尽といった感じで展開していて、その時代を読み解く推
理も、おもしろかった。

 著者はこの本を刊行後、2001年日本エッセイストクラブ賞を受賞したそう
だ。たいしたものだ。

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