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2015年4月5日 - 2015年4月11日

2015年4月10日 (金)

野添憲治さんの「重き黒髪」を読んだ

 以前、野添さんの秋田杉に関する本や、花岡鉱山に関する本を読
んだことがあった。この随筆集は2009年(平成21年)6月10日、
能代文化出版社が刊行した。
 

 
 野添さんは、能代市の風の松原といわれる松の防風防砂林のなか
の小径を自転車で散策することが多いようだ。その林内散策の途中
で観察したことがらから発想したり、生まれ育った藤里の村や山での
体験、平穏な日々を暮らす中で感じたりした事柄を淡々とした言葉遣
いで書いた随筆を五十余篇集めている。

 巻末に野添さんが1935年生まれとあったので、戦後生まれの私と
は15年近く離れている。潜り抜けてきた時代が違うし、県北部内陸と
県央の沿岸部とでは地域性も違うので、この本を読むと、私にとって
ほとんど初めて知る世界を生きてこられたことがわかる。それでも、
自分もわずかながら見たことのある習俗も書かれていて、そこに共通
する時代や地域性が感じられるところもあった。

 敗戦後、帰郷した長男が、妻が実弟と結婚していたことを知り、マサ
カリで弟を打ちのめした後、自分は裏山で首をくくって死んだ話とか、
戦地に駆り立てられた馬の話などは、戦争の裏に潜む悲話として痛
ましさが残る。

 また、「ブナの実拾い」には、父親について山に入りブナの実を拾う
光景が書かれていたが、幼い日、自分が父と一緒に山のぜんまい
採りをしたときのことを想い起こし、懐かしく感じた。「芦別にて」では
寒村で細々と小料理屋を営むおばあさんとの会話がいい。おばあさ
んの作った俳句が地元新聞に載っていて、その日をもって廃刊にな
るのだという。話はおばあさんの身の上話に移るが、この店も閉じ
ることにしているといった話だった。「闇の中のやすらぎ」も面白かっ
た。

 幾つものエピソード、それがこうして本の中に残らなければ自分も
知ることはなかっただろう。一般には知りえないものだったり、忘れ
去られるものととして消えてゆくはずだったことがらが、野添さんの取
材や聞き書きによってエピソードが明らかにされるということは、やは
り貴重なものだということを思った。それらは単にエピソードであるに
とどまらず、その時代の社会のありようや人々の思いを浮かび上が
らせてくれる。

 「佐々木米三郎」という名を見つけた時はおどろいた。私が詩の同
人誌に加わったころ、同人誌を立ちあげた人が「よねさん」を引き入
れたのかもしれないが、私が入会したときはすでにその「よねさん」
も同人だった。シベリアへの出稼ぎで山林で伐採などをしていたとい
うことは本人から聞いていた。当時、彼は秋田文化出版社の印刷工
をしていたが、シベリアから戻ってから秋田文化で働く前に、二ツ井
の国有林で働いていたのだろう。野添さんは彼から生活記録を主と
したサークル活動誌の主宰者に紹介されたと書いている。

 この本の中ほどの「三つの名前」のなかにもう少し詳しく野添さん
と米三郎さんの出会いのことが書かれていて、とても興味深かった。
米三郎さんが亡くなって何年になるだろうか。昨年、かつての詩友だ
った前田勉が三十五年も前のスナップ写真をアルバムにして見せて
くれた。それには私の詩集出版記念会の写真もあって、そこに笑顔
の米三郎さんが写っていた。私の詩集の出版を喜んで出席してくれ
たのだった。なのに、私はその後の米三郎さんの消息を知らない。
家が近くあったにもかかわらず訪問することがなかった。今になれ
ばもっとヨネさんと話をしておけばよかった、話を聞いておけばよかっ
たと悔やまれる。私はもっと人のことを学ぶべきだったし、その機会
を一度となく幾回も失ってきたような気がしている。

 野添さんの本を読んだら、私の知る以前の佐々木米三郎さんとい
出会うことになった。

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