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2015年11月29日 - 2015年12月5日

2015年12月 4日 (金)

旅に関する三冊(2)

3 「プラネット ウォーカー(無言で歩いてアメリカ横断17年)」ジョ
 ン・フランシス著。(日経ナショナルジオグラフィックグラフィック社)

 著者が自分の実体験を本に著したもの。
 1971年サンフランシスコ湾で起きた原油流出事故を目撃した若
者が、その後、自動車を運転するのも、人に乗せてもらうのもや
める。しかし、この決断に対しては、例えば「人一人が歩くことに
したからって、大気汚染や原油の流出は減らせない。かえって、
ほかの皆のガソリンの消費量が増えるだけだ」などと批判されて
しまう。

 自分から仕掛けるわけではないが、聞かれれば自分の「歩く」生
き方を始めた理由を話さざるを得ない。そこに激しい議論があった
り、自己弁護や虚勢や、自分への偽りが見えてくる。著者は、27
歳の誕生日に、この日から沈黙を守ろうと決意する。

 9年後、著者は友人と非営利の教育機関「プラネットウォーク」を
設立し、徒歩による巡礼を通じて環境保護の意識を高め、世界の
自然を守り、平和の達成に尽くす運動を始めた。そして、1983年
1月、カリフォルニア州ポイント・レイズを起点に徒歩、無言の旅
を始める。彼は太平洋岸沿いに北上し、ワシントン州ポートタウ
ンゼントからは東へ向かう。イエローストーン公園、ミシガン湖の
南端を経てまたひたすら東へ向かい、7年後に大西洋岸に到達
する。

 旅の中で、沈黙すること、言葉を語ることなどについて考察を
深めて、それはそれで考えさせるものがあるが、アメリカという
国の懐の深さも感じた。

 旅の途中で、話しかけられても無言の彼を訝しむ人には、「プ
ラネットウォーク」の設立趣旨を書いた紙を見せたりした。極寒の
冬はそのコース上の土地に住んで春を待ったり、そして驚いたこ
とに、旅の途中三カ所の大学で学び、学士号、環境学で修士号、
土地資源研究で学位を取得するなどして旅を続ける。アメリカで
は旅人でもそんなことができるのかと驚く。あらかじめ入学許可
をもらっていたりしたようだし、昔はアメリカの大学は入るのは難
しくはないなどと聞いたことがあったが、そのようなことか。日本
では、決まった時期に行う入試に合格する以外に大学に入学す
ることはできないのではないか。社会人向けの講義が開かれて
いる場合もあるが、旅行途中の人でも受講できるものだろうか。
 
 彼が大学で授業の補佐をするときは身振りやホワイトボードに
書いたりしたのだろう。大学で受講する際、質問や解答のときも、
身振りやメモ書きで受講した。そのほか、彼が通りがかったこと
を知った町の学校教師が、彼に頼んで講師となり特別授業をも
ったりしたことも数度あった。アメリカではそんなこともできたりす
る。民間人がいきなり授業で教壇に立つことなど、日本では考え
られないのではないか。そんなふうに実をとるために柔軟な考え
に立てるところがアメリカの優れた点なのだろう。

  旅の後、彼は、国連環境計画プログラムの親善大使の任命を
受けたり、原油流出の規制法作成を手伝うことになる。旅の途中
で博士号を取得したことが評価されたが、考え方が独創的で突
拍子もないことも力となった。彼を指名した人から「法案の起草や
経済や環境の分析に関することで、どんなに突拍子もなく非現実
的と思えるものでも構わない」言われる。

 また、遠隔地の人間と会議や話し合いが必要な場合は、徒歩
や自転車で行くなど悠長なことはやっていられない。衛星通信
システム(テレビ会議のようなものだろう)を使わせようという。い
わば公機関で、目的のためにあらゆる手段を許容するという。
日本では、会議に出張する者の交通手段は新幹線とか飛行機、
車など決まっていて、これに従わない者は採用ストップになった
り、採用されてもやがて排除されてしまだろう。

旅に関する三冊(1)

1 「チャーリーとの旅」(ジョン・スタインベック ポプラ社)
 「怒りの葡萄」や「エデンの東」を書いたスタインベックが1960年、
58歳の時に、アメリカを横断し周回した紀行文。この旅で4カ月か
けて1600kmを走った。

 「私は自分自身の国を知らないと悟った。・・・・私はアメリカの言
葉を聞かず、草や木やドブ川のにおいを嗅がず、丘や川の色合
いやきらめきを見ずに過ごしてきた。変化というものに触れるの
は本や新聞を通じてだけだった。何より二十五年にわたってこの
国土に触れてこなかったのである」「だからもう一度見てみよう。
この怪物のごとき国を再発見しようと決心した」・・・・これが、旅の
動機だった。

 そのために準備したのが、積載能力750kgのピックアップトラッ
クだった。内部にはキャンピングカー用の居住スペース、ダブル
ベッド、コンロ、ヒーター、冷蔵庫、照明、トイレ、収納庫などを積
み込んだ。愛犬とともにニューヨークを発ち、ニュー・イングランド
~ひたすら西へ~シアトル~サンフランシスコ~ニューオーリン
ズ~ニューヨークと周回する。

 車に準備したもの中にライフル銃もあったのが、アメリカを感じ
させる。方言が徐々に消え、画一的な標準語に変わっていくこと
や都市化の波が広がっていくのを見て嘆いている。シアトルでは
自分がかつて見た風景が、狂ったように発展している様を「発展
というものは、どうしてこうも破壊と似ているのだろう」と書いてい
る。南部を通過すればいやでも目にすることになる黒人差別の
現場・・・・・。

2 「ハロルド・フライの思いもよらない巡礼の旅」(レイチェル・ジ
  ョイス 講談社)
  
 イギリス南端の町に暮らす65歳の男が、スコットランドに近い町
の病院でガンに冒され死に瀕しているという昔の同僚から手紙を
もらい、それへの返事を手にして、投函しようとして郵便ポストを
探す。ポストは見つかるが、そこをやり過ごして次のポストを探す。
見つけるがまた次のポストへ・・・。ついにそのままスコットランド
方面へ歩き始める。

 自分が行くまで入院中の元同僚の命が続きますように、そんな
願いが彼を駆り立て、80日間、1千キロを歩いて、病床にある元
同僚のもとにたどりつく。

 旅の途中、主人公の妻や息子への様々な思いを読み進むうち
に、背後にある彼の家族関係が解き明かされていく。誤解や行き
違いに惑わされながら、感情の奥そこにある本当の心に気づく
主人公と妻。

 かなり省いてしまえばそんなストーリーだ。
 全く準備もなく、普段着のまま、地図も何も持たず背負わず、コ
ンビニ袋くらいで、旅の始まりとはいえないような徒歩の旅が始
まる。普通、旅って何らかのチケットを求めたり、予約したり、何
らかの準備はするもの、そう思ってきた身には、この小説の始ま
り方は意表をついていて面白い。飽きることなく読みきっていた。

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