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2015年2月1日 - 2015年2月7日

2015年2月 6日 (金)

天童荒太「悼む人」を読んだ

 誰を愛し、誰から愛され、どのようなことをして人から感謝された
か、それが主人公が死者を悼むときの悼みの内容だという。究極
のところ、そのひとの人生を、そのような見方で語りたい、というの
が小説全体を貫いている。

 感謝、という点については、思い当たることがないこっぱずかしさ
がある。大概の人にはあるんだろうな。かろうじて、今からでも遅す
ぎることはないだろう、死ぬまでの間に何かできることがあるかも
しれない、などと思ったりするが、差し当たって何ということもなく、
日に日を重ねている。ただ、胸の中から消えがたいフレーズだ。

 主人公が悼みの旅に出るきっかけも、母親の口を通して語られ
ているし、その資質のようなものが幼いころから、芽生えていた。

 主人公の母親がガンに冒され、あと数か月の命を生きる様が描
かれている。死にゆく前の、病気の進行に戸惑いつ、受け入れて
いく日々。夫や娘や、娘のお腹にいる他人の子を自分の子として
育てようとしている甥たちとの日々の送り方、その振る舞いは、胸
に沁みこむものがある。

 主人公の生き方にやがて共感してゆく週刊誌記者、主人公に同
行する女性、それらが重層的に描かれていてラストへ。

 母親が最期にみる光景は明るくやさしい。以前「リトル・ジョンの
静かな一日」を読んだが、主人公がやさしい光の中で、自分より先
に逝った人たちが自分を招き、迎え入れてくれる世界の描き方と
似ている。祈りの先にあるのがキリストである国の人たちが生から
あっちの世界へ川をわたるときのイメージが似ている。

 母親の死が苦しいものでなくてよかった、と思う一方で、自分が
迎えるのなら、このような穏やかな死を願いたいと思っているが、
どうなることだろう。死ぬのなら、そのときは眠るようにやさしい光
のある方へゆっくり歩いていきたい、そんなことを思っていた。

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