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2015年2月15日 - 2015年2月21日

2015年2月20日 (金)

冬ばれの中岳

 金山滝の上の二股にかかる丸太橋を渡ってから急登が始まる。
途中、雪が消えて泥が出ているところがあり、そこをぐちゃぐちゃ
踏んで登る。陽が差してくると暑くなったので、防寒用に着た雨具
を脱いだ。再び雪道になる。

 この道は、後年、太平八田に三吉神社を創始した人が、中岳に
神社を建てようとして切り開いたようだ。その人が山頂に木曽吉
山神社を建立したのが嘉永2年(1849年)というから、今日まで
ざっと160余年の歴史がある。当時から、太平地域をはじめ、近
郷近在の氏子や信者たちが、山頂の神社までお神酒や供え物、
自分たちの酒や食べ物を担いで、汗を流しつつ登ったものだろう。

 この金山滝から前岳、中岳への登路が開かれたころは、すでに
太平野田から嶮岳、宝蔵岳、弟子還岳を経て太平山奥岳に至る
登山道は多くの人々に利用されていて、文化9年(1812年)に
は菅江真澄も、野田口から奥岳へ登ったという。
 

 雪は堅く締まっているので、途中で六本爪アイゼンを付けた。こ
の爪が深くは刺さっていかない。それほど雪が堅いのかというと、
実は自分の体や荷が軽量であるせいではないかと気がついて、
おかしくなる。尾根になる。何本ものブナが、緩やかに円い、真っ
白な雪面に影を伸ばしている。これをみたかった。踏み跡から外
れてアングルを変えて写真を撮った。

 右を眺めると、対面に、今日の目的地中岳山頂から南にくだる
稜線上に、ブナ林がこげ茶のような輪郭をつけている。そしてこ
ちらに下降する斜面には無数の直立するブナが一本一本、影を
左斜めに落として、全体緩やかな山襞のカーブをみせている。
太い縦と細い斜めの線が無数に交差する網目をつくっていて、
この白と黒の二色の幾何学模様はすがすがしいと感じる。

 出発後い一時間半を超える頃に女人堂跡に着く。一口サイズの
パンを二個ほおばってから中岳へ出発。雪は先ほどより深く柔ら
かい。前岳のピークを踏むと路はいったん下る。北からの風がか
なり冷たい。緩やかな登りが、次には急坂に変わって、喘ぎつつ
登る。それでも先行した人たちのつけた踏み跡があるので助かる。
そのうち数人の下山者とすれ違った。夫婦らしい二人連れに山頂
の様子を尋ねると、風はなかったヨ、のんびりしてきましたア、とい
う。ラッキー。

 最後の登りが終わり、南に回り込んで間もなく山頂に着いた。木
曽吉山神社は雪の中に埋まっていて、わずかに棟木の先端部が
のぞいている。遠く東には太平山奥岳や赤倉岳までのいくつかの
山の頂と稜線が波のように連なっている。赤倉岳のあたりのわず
かな鞍部の向こうに、ちょこんと白く円い頭が見えるのは森吉山
頂だ。おーいと呼びかけたくなる。中岳山頂に積もった3,4メート
ルの雪の上だから得られるこの季節だけの眺めだ。

 ふと前方を見ると、ひと筋カンジキの跡が東へ下っている。左(北)
側にはブナ林の樹影が広がり、右側には危険な雪庇が待っている。
足跡はその中間の真っ白な雪面が帯のように続いているが、その
先となると遠すぎて目でたどることができない。多分、その足跡は
白い帯に乗って、徐々に登りに入り、そのままここより高いあそこ
鶴ケ岳山頂に届いていることだろう。

 十年前の春、自分もあのような足跡をつけて鶴ケ岳に登り着いた
とき、足元の雪の隙間に折り重なった枝からちらり黄色いものが見
えた。それは、雪の重さにつぶされながらも健気に咲くマンサクだっ
た。まだ寒気の厳しい標高一千メートルの山上で、か細い花びらが
雪の中で春を待つ姿はなんとも愛おしく、感動を覚えたものだった。

 真っ青な空は雲を浮かべている。鶴ケ岳の右奥には秋田駒が見
えるし、私の目に入っている白い山脈は薬師、真昼の連山や焼石
だろう。そのずっと右にあるのは八塩でないか。南に鳥海山を探し
たが、雲が隠していて見えることはなかった。

 あの人たちが言ったとおり風はなく、日が出ると暖かいほどの陽
気の下で、残ったパンとおにぎりを噛みしめ、ポットの熱いお茶を
流し込む。たった30分くらいの山頂だが、もう、ほかの時間の過ご
し方など考えられないくらいの気分にすらなって、さっき登ってきた
路を口笛交じりに下り始めた。

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