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2018年1月12日 (金)

「火山のふもとで」(松家仁之)を読んだ

 松家仁之(まついえまさし)は1958年生まれの作家。

 「ぼく」が入所した村井俊輔が経営する設計事務所は、国立
現代図書館の設計競技(コンペティション)に参加するための
準備にとりかかっていた。村井のほかに13人が勤務するこの
事務所にとって、「ぼく」はこの事務所が採用した久しぶりの
新人。事務所は東京・北青山にあるが、毎年7月終わりから9
月末までは、軽井沢の別荘地にある通称「夏の家」に事務所
機能を移してきた。今年は、「ぼく」も加えて、事務所総がかり
で設計競技に出す案を作る準備にとりかかった。

 こんな背景のもとで物語が進行する。冒頭から何か心地よ
さが感じられる。村井の経歴や設計者としての考え方、彼が
学んだアメリカの建築家の経歴やスウェーデンの建築の歴
史なども挿入される。

 現代図書館の設計が進む中で、「ぼく」の恋愛や、村井が
設計した家に住む作家や園芸家との交流が描かれていく。
設計競技が近づいたある日、ついに村井が疲労で倒れてし
まい、設計競技には、設計図から作り上げた模型が参考作
品として参加するのみとなり、ライバルの設計事務所の案
が採用されることとなった。このあたり、読者としては力が抜
けてしまう。そして村井は3年間の闘病生活の末に死んでし
まうが、その辺も淡々と語られている。

 村井の死後、設計事務所のスタッフはそれぞれ独自の道
を歩んでいく。やがて軽井沢の作家も、そして園芸家も亡く
なり、村井の設計したそれらの家は親族などに引き継がれ
ていく。そして「夏の家」はひょんなことから「ぼく」が引き取
ることになった。初めてここに来た時から29年ぶりの「夏の
家」で、「ぼく」は、最初に村井が建てた時の間取りに戻す考
えをもった。この家で寝起きして、村井の生き方や心境を自
分たちも感じたいと思ったのだった。

 こうして読んでみると、設計競技に向けてクライマックスが
用意されていると思ったが、そうではない。では、何が語ら
れているのだろうか。「ぼく」はもう五十代に入っている。「夏
の家」で一緒に設計に打ち込んだ仲間は各方面に散り、病
床で永眠した人もいる。村井の建てたものの幾つかは依頼
主の死後、他に人の手に渡っている。そんなところをみると、
建物は残る、人の命ははかない、無常観ということかとの思
いが浮かぶ。
 
 ん~そんなところかなア。ディティールはよく描かれていて、
鳥や虫、樹木、料理、設計に用いる小道具の様々の名前が
いろいろと出てきて、著者の博覧強記ぶりが披露される。登
場人物像もかき分けられている。建築家ってこういうところ
にも思いを及ばせて設計するものなのか、とか、アメリカや
北欧の建築家や建築物についても、多少、教えられるとこ
ろもあった。そんなところかな~。

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